
「ボクサーは負けて修復し成長する。車の修理も同じ。板金の仕事に誇りを持ってほしい」。失敗を分析して成長につなげることの重要さを説く、元ボクサー市村智さん(53)の決めぜりふだ。山梨県南アルプス市で車を修復する板金整備業「イチムラボディーショップ」を経営し、講演で全国を巡る。
2013年に板金整備技術の全国コンテストで優勝した際、ボクシングの元高校王者で五輪を目指した異色の経歴が業界団体の目に留まり、「ボクシングと車のリペア」をテーマに講演活動を始めた。すでに全都道府県を一巡し、新型コロナウイルス禍による中断をはさんで今年4月から再開した。
高校3年だった1987年にインターハイでモスキート級を制し、前年の国体では後に世界王者となる薬師寺保栄さんを破った。拓殖大で92年バルセロナ五輪の候補になったが、父親が病気に。「ボクシングに未練があったが、余命が2年と言われて…。母親や妹、祖母を路頭に迷わせるようなことはできなかった」。故郷に戻り、板金業を継いだ。参考;毎日新聞

2013年に板金整備技術の全国コンテストで優勝した際、ボクシングの元高校王者で五輪を目指した異色の経歴が業界団体の目に留まり、「ボクシングと車のリペア」をテーマに講演活動を始めた。すでに全都道府県を一巡し、新型コロナウイルス禍による中断をはさんで今年4月から再開した。
高校3年だった1987年にインターハイでモスキート級を制し、前年の国体では後に世界王者となる薬師寺保栄さんを破った。拓殖大で92年バルセロナ五輪の候補になったが、父親が病気に。「ボクシングに未練があったが、余命が2年と言われて…。母親や妹、祖母を路頭に迷わせるようなことはできなかった」。故郷に戻り、板金業を継いだ。参考;毎日新聞


