

特別展「『雨宮敬次郎と中央線』~鉄道王 雨宮敬次郎が描いた山梨鉄道~」が甲州市の旧高野家住宅「甘草(かんぞう)屋敷」(同市塩山上於曽1651)で開かれている。
1889年、当時甲武鉄道(現在のJR中央線東京-八王子間)の取締役だった雨宮が記した「山梨鉄道起業意見書」などから、雨宮の鉄道への思いをたどる。31日まで。
雨宮敬次郎は牛奥村(現甲州市塩山牛奥)の名家に次男として出生。1857年に行商生活を始め、1872年には横浜に出て洋銀相場や生糸の取引などに携わる。成功と失敗を繰り返したが、やがて富国強兵、殖産興業といった時代の波の中、交通機関や製鉄事業の重要性に気付く。
1888年に甲武鉄道の取締役となり、鉄道や製鉄事業など多くの事業に重役としてかかわった。中央線が甲府盆地の北を回るルートとなり、1903年に塩山駅が誕生する際に大きな影響を与えたといわれ、今でも地元では「雨敬さん」と親しまれている。


