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ちょっくらよっていけし   

甲州の山猿

甲州の山猿

 特別展「『雨宮敬次郎と中央線』~鉄道王 雨宮敬次郎が描いた山梨鉄道~」が甲州市の旧高野家住宅「甘草(かんぞう)屋敷」(同市塩山上於曽1651)で開かれている。
1889年、当時甲武鉄道(現在のJR中央線東京-八王子間)の取締役だった雨宮が記した「山梨鉄道起業意見書」などから、雨宮の鉄道への思いをたどる。31日まで。
 雨宮敬次郎は牛奥村(現甲州市塩山牛奥)の名家に次男として出生。1857年に行商生活を始め、1872年には横浜に出て洋銀相場や生糸の取引などに携わる。成功と失敗を繰り返したが、やがて富国強兵、殖産興業といった時代の波の中、交通機関や製鉄事業の重要性に気付く。
 1888年に甲武鉄道の取締役となり、鉄道や製鉄事業など多くの事業に重役としてかかわった。中央線が甲府盆地の北を回るルートとなり、1903年に塩山駅が誕生する際に大きな影響を与えたといわれ、今でも地元では「雨敬さん」と親しまれている。
甘草屋敷

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VF甲府戦を観戦

VF甲府 対 水戸ホーリーホック戦を観戦して                       

 昨日、ひたちなか市総合運動公園陸上競技場でヴァンフォーレ甲府対水戸ホーリーホックの試合を見てきた。サッカーを観戦するのはしばらくとあって、行く前は退屈するかなと思っていたが1対0で辛くも甲府が勝った試合、手に汗を握ったのは久々であった。ヴァンフォーレ甲府がひたちなか市に来るのは1年に一度しかない絶好の機会なので前々からぜひ見たいと思っていた。
  うかつにも会場は笠松運動公園だと早とちり。予定の時刻より30分も前に着いたが試合らしき雰囲気はどこにも見当たらず、しばらくして場所を間違えたことに気づき、すぐ海浜公園方面に車を走らせた。約20分位して目的の場所にたどりついたが近くの駐車場はどこも満車。仕方なく指定の場所に向い駐車場から球場までの距離がとても長く結局遅れて会場に到着。既に試合開始から20分くらい経過していた。球場の外にサポータの声援する声が怒涛のように聞こえてきた。急いでバックスタンド席(2,000円)の入場券を買い求めるや否や真っ直ぐヴァンフォーレ甲府の陣地にサポータの振りをして紛れ込んだ。
  試合中サポータは終始声を張り上げ飛んだり跳ねたり手を上げたり、統制の取れた応援には感心した。バックスタンド席は約3/4がヴァンフォーレ甲府で埋めつくされ勢いを感じ逆に水戸のサポータは消沈しているように思えた。サポータのTシャツはブルーの下地に白字で「はくばく」とペイントされておりサポータと同じ気持ちになるには一度着てみたいと思った。ちなみに「はくばく」とは増穂町の白麦米を作っているスポンサーであることは以前から知っていた。
  試合は前半向かい風にもかかわらず敵陣でのプレーが多く37分にカウンターで先制点をとり終始甲府のペースで進めていた。後半追い風を受けながら押し気味に進めたが前半の1点のみで終わった。90分戦った甲府のメンバーにささげるエールは試合が終わっても延々と続いていた。いったいこの熱気は何だろうと思いながらも、やはり今期の甲府はいつもと違うなと肌で感じた。
  駐車場までの帰り道、甲府の中年らしきサポータ二人ずれに声を掛けてみた。「甲府のサポータは凄いですね」と云うと「来週ホームでの熊本戦には1万人は楽に集まりますよ」と返してきた。「水戸のサポータは少なかったようですね」と余裕すら見せていた。また、小瀬球場に比べて駐車場が広いのには感心したようだ。そうこう歩いている内に待機していた「山交バス」に近づいたので、別れ際「私は甲府工業で市川三郷町出身ですよ」と云ったら、二人連れはビックリして「私たちも甲府工業で田富町から来たんだ」と笑いながら応えてくれた。まさか、千人近いサポータがいるなかで偶然に甲工OBでしかも隣町に住んでる人と話が出来るなんて、世の中は狭いんもんだと思った。本当はもっと話したかったがバスの出発時間が迫っていたので「ご苦労様」と声を掛けて私はその場でバスを見送った。「甲府まで3時間半ですよ」と笑顔で云った同窓生の言葉が印象的だった。

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