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ちょっくらよっていけし 

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スペインの旅(12)

スペインの旅(12)

「バルセロナ」、イベリア半島の東部で地中海に面している。
サグラダ・ファミリア(聖家族教会)、1880年代に建築家ビヤールからアントニ・ガウディが引き継いだ。
教会建物に関しては、20年後に完成を予定している。
ただし、当該教会を中心とした周辺の都市計画/区画整理/既存民間建築物の撤去・移設、道路拡幅及び路線変更等が完了するのには50年後~100年後ともいわれている。
イエスと聖母を表す2本の塔を中心にイエスの「生誕」「受難」「栄光」等を象徴する合計18本の鐘楼が建てられる。現在工事中。

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甲州人国記(7)

甲州人国記  “一筋道を歩みつつ ” ③-3   昭和58年

マンガ一筋が、文芸春秋社漫画賞の小林治雄(56)。

毎日新聞読書欄の「ヒトクチ漫画」を描き続け、今年で二十九年になる。
力もなく金もない庶民の目で、モノ申すのが持ち味だ。
アサヒグラフのマンガ学校投稿家として世に出た。
「二十代のころと同じ目で漫画を描けるのが幸せ」毎日描く一枚の漫画が現代史を映す。
「締め切りギリギリまで考え抜いて、差し替えることもよくあるんです」旧制甲府工業を出て米軍軍政部勤め。
投稿時代は、田植えで馬の鼻取りもした。
故郷・田富の釜無川は常に荒れ、畑の石を拾い集めた。
「百姓が手をヒビ割らすように、今は頭の中が割れるほど考えます」。
映画『泥の河』に泣いた男は、「金主主義ニッポン」の土壌に、ぐさりと風刺のクワを打ち込みたい、という。
(敬称略) 資料:朝日新聞 甲州人国記 “一筋道を歩みつつ ” ③ 昭和58年より。

田富村から甲府工業(C17)に通学。
小林治夫

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甲州人国記(6)

甲州人国記  “一筋道を歩みつつ ” ③-2   昭和58年

棋王、将棋九段の米長邦雄(39
)には、「さわやか流」のニックネームがついている。
「攻めの勝負師」といわれる棋風もだが、長身、秀でた額、明せきな語り口には、青嵐のような現代棋士の風韻(ふういん)がある。
潔(いさぎよ)い引き際で知られた元首相、故石橋湛山を生んだ南巨摩郡増穂町育ち。
兄たち三人は東大で将棋部主将、週間朝日誌上での「三十年ぶりの兄弟対局」が話題を呼んだ。
旧地主の生家は敗戦で没落して貧乏暮らし。
母親がタバコ屋をして子育てをする。
「将棋だけは兄貴らに負けるもんか」と、負けん気の四男坊主だった米長は、中学一年の時、単身上京して佐藤勇次八段の内弟子に。
中学生と小学生の内弟子二人を家に置く。
都立鷲宮高で同級生だった明子夫人と三人暮らし、内弟子二人の七人で朝鮮焼き肉の卓を囲み、米長はなにくれと気をつかった。
心細やかな甲州男児だが、「負けた時のことも計算に入れておいて、一発勝負にでるんです」。
米長の著『人間における勝負の研究』は十万部売れた。
「禅に通ずる自然の道理の機微」に勝負どころを見ようとする目が、盤上に人の世を見る。
「華やかな面ばかり見て、子どもを棋士にという親がいるが、風雪に耐えなきゃダメです」。
棋聖二回、棋王三回、王位一回のタイトルを握った。
王将、名人戦では破れている雪辱を果たせるか。「日本一を目指しますよ」。
(敬称略) 資料:朝日新聞 甲州人国記  “一筋道を歩みつつ ” ③ 昭和58年より。

増穂町育ちの米長邦雄さん。
米長

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甲州人国記(5)

甲州人国記  “一筋道を歩みつつ ” ③-1   昭和58年 
                          
山岳写真の第一人者白簱史朗(49)の自著『山に憑(よる)かれて』の扉には、「山高くして吾が行く道はるかなり」と書かれていた。
六千メートルのヒマラヤ、デオ・チバ山から
初滑降を果たしたり、ネパール・ヒマラヤのマカルー峰をきわめたり。
昨年は二百日のヒマラヤ行をして、山岳家としても定評のある白簱だが、「道はるか」は体験を通した実感であろう。山の奥行きはそれほど深く、人生もまた似ている、と白簱は思うからだ。
 童顔の目はくりくりと澄んでいる。
ヒマラヤにしても、白簱が永遠の山という甲斐の南アルプス・北岳にしても、心の山という尾瀬にしても、白簱は対象にのめり込んで撮る。
山の一体感を感ずる、その一瞬の表情をつかみとる。
野宿はしょっちゅうだ。
大月市生まれ、いつも富士を見て育った。
十八歳で上京、富士山の写真家岡田紅陽に弟子いりする。五年間の徒弟暮らし。
カメラも岡田に借りるほど貧しかった。
撮影行について行って向き合った、日本第二の高峰・北岳の朝焼けに燃える姿が、白簱の道を決めた。
二十九歳の時、「食っても食えなくても山以外は撮らない」と宣言、南アルプス行き、年間二百数十日の記録。
「撮りつくしたと思っても、山は行くたびに表情を変えています。いまだしですよ」。
人生の旅も正攻法だ。(敬称略) 資料:朝日新聞
大月市生まれの白簱史朗さん
白籏

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都留文大理事長

都留文大理事長に元山梨県知事横内氏。 

「魅力ある大学に役立ちたい」 都留市は19日、都留文科大(同市田原)の新しい理事長に、横内正明前知事(73)が就任すると発表した。
堀内富久市長が2月2日、任命する。
横内氏は、今月末に退任する大谷哲夫理事長(76)の後任。
大谷理事長は駒沢大総長などを経て、平成25年4月に都留文大理事長に就任。
4年間の任期途中で退任する。
横内氏の任期は大谷氏の残任期間の29年3月末まで。
官僚、国会議員、知事などの豊富な経験を大学経営に生かすことを期待されての起用とみられる。

韮崎市出身、韮崎高校から東京大学卒。父:横内 要元韮崎市長、弟:横内公明前韮崎市長。
資料;産経新聞より
都留市街から見た富士山。
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天神山ゴルフ

第49回天神山ゴルフ会を昨日行いました。

期日   :平成28年1月25日(月)
場所   :那珂カントリー倶楽部
スタート ;9:22(中→東)

朝からいい天気に恵まれてのゴルフでした。心配した風もなく穏やかな一日でした。
それでも一昨日降った雪がコース上に残り、皆さん白いボールではロストになってしまうので最初からカラーボールを使ってのコンペとなりました。
深いところでは5センチ位積もっていて、打球が出来るだけ雪の方にはいかない様手加減していました。
日陰は残雪がありました。 
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世代超えた「無尽」

世代超えた「無尽」を模索

「いち、に、さん、し」「この体操が一番えらいわぁ(つらいなぁ)」
2015年12月9日。本格的な冬の到来を感じさせる寒風が吹いていたが、身延町宮木の公民館は、高齢者らの元気な声と笑顔で温かな空気に包まれていた。
参加するのは、62~88歳の男女。
大きな声でリズムを取りながら、テレビ画面に流れる手本に合わせ、手足を動かす。
週に1回ほど、こうして公民館に集まるのだという。
日本は高齢化が進むが、近年、健康で自立した生活を送れる年齢を示す「健康寿命」という考え方が注目されている。
県立大の小田切陽一教授(60)は03年、県の要請を受け、全国の健康寿命を調査したところ、山梨は国内で女性がトップ、男性も2位という結果に。
県内の健康寿命が全国トップクラスの理由として、小田切教授は、県内の文化と健康寿命の関係性に着目。
「『無尽』に代表される独自の地域コミュニティーが健康寿命を延ばしている」と指摘する。
小田切教授の分析では、一般的に男性の場合、定年退職後、社会との関係性が薄くなることで、生きがいを見いだせなくなる傾向が強い。
小田切教授は「社会の中で自らの役割や立場を認識することが、生きがいになり、長生きしようという気力につながる」と話し、「無尽」は趣味的志向が強く、退職後も関係が続くため、「無尽の存在が社会からの孤立を防いでいる」と指摘する。
県長寿社会課によると、県内では身延町のほか、韮崎市、富士川町がモデル地域となっており、地域の高齢者が体操をしたり、おしゃべりしたりし、地域コミュニティーを形成している。
特に身延町は活動に力を入れており、町内で約30のグループがあり、細かな地域単位で交流を図っている。「体操のために集まるのが楽しみ。みんなと接することが生きがいになっている」と参加者の評判も良く、中には「杖(つえ)なしで歩けるようになった」と効果を実感している人も出てきたという。
厚労省の調査によると、13年の推定値で、山梨県の健康寿命は女性75・78年、男性72・52年と全国1位で依然として高い水準にある。
資料:読売新聞より
身延山の奥の院。階段が多くえらいです。

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スペインの旅(11)

スペインの旅(11)

「バレンシア」、イベリア半島の東部に位置する。
スペイン第3の都市。 
地中海に面し、温暖な気候のため農業地帯であり、オレンジなどの果実、米の産地で、パエジャ(パエリア)の発祥の地である。


(城門の内側)                  早朝 (レイナ広場) 
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28年度同窓会総会

 甲府工業高等学校同窓会 会長 中村邦弘(C36)
  平成28年度当番幹事 幹事長  原田 武(T61)
          参加希望者はメールフォームでご連絡下さい。村上博靱(E33)
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茨城同窓会ゴルフ

第104回 甲府工業茨城同窓会ゴルフコンペ(1月分)の結果 

1.期日    平成28年1月21日(木)
2.場所    勝田ゴルフ倶楽部  
3.集合    8:00
4.スタート  8:30
<成績は以下のとおり>
優勝      今井勝友
準優勝    木本貴一      
3位      村上博靱
4位     山村正英 
5位     宮川源幸
6位     石川 信
7位     三井幹夫
8位     深澤弘義
9位     木本土八
      
ドラコン   深澤弘義  三井幹夫  木本貴一 宮川源幸    
ニアピン    木本貴一  山村正英  今井勝友
ブービー    深澤弘義
ベスグロ    宮川源幸
副賞      今井勝友


昨日も荒れた天気だったのに今日はうって変わって温かいゴルフ日和となった。
今回も竜ケ崎の三井幹夫さん元気よく参加してくれました。
また山村正英さんも参加してくれました。少し太ったような気がして安心しました。
二人の差はなんと18歳、こうして老若の人たちが参加してくれると活気づきます。
お二人とも有難うございました。(^-^)

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健康寿命日本一

「健康寿命日本一」 山梨県

県はこのほど、2013年の県民の健康寿命は男性で72・52歳、女性で75・78歳と、それぞれ全国1位だったと発表した。
この結果に、後藤斎知事も「『健康寿命日本一』が山梨の魅力に加わった」と胸を張る。
ただ、これまで県民の食塩摂取量が全国平均よりも多いなど、なにかと不健康な要素が多いと言われていたはず。
この結果をどう読み解くべきか。
健康寿命は、病気などで制限されることなく生活できる期間を示す。
厚生労働省が国民生活基礎調査で「健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」との質問に「ない」と答えた人を年齢別に整理したものをもとに、3年ごとに算出している。
前回(10年)は男性は71・20歳で全国5位、女性は74・47歳で12位だったという。
県民の生活習慣については、食塩摂取量は全国平均より多く、1日当たりの歩数は少ないなど不健康な要素が多いとされてきた。
県健康増進課によると健康診断の受診率は全国平均よりも高いといい、病気が早期に発見されて、健康寿命の伸びにつながっているとの見方もある。
ただ、健康寿命の算定基準は「影響がない」と答えた人の数であり、主観に左右される。
同課は今回の結果にかかわらず、今後も減塩などを訴えていく方針だ。資料:朝日新聞
八ヶ岳降ろしで鍛えられた甲府盆地の甲州人
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小中学校の閉校へ

小中学校12校、今年度で閉校へ 少子化で統合。山梨県

少子化の影響で、県内の小中学校で統合が進められている。
県教育委員会によると、今年度をもって閉校する小中学校は4市町の12校に上る。
来年度以降の閉校に向けた準備も進んでいる。
今年度で閉校するのは、山梨市の牧丘第一小▽牧丘第二小▽牧丘第三小▽三富小、身延町の久那土中▽中富中▽下部中▽身延中、大月市の大月西小▽強瀬小▽富浜中、富士河口湖町の西浜中の計12校。
統合され、来年度には山梨市に笛川小、身延町に身延中(新校)が開校する。
大月市と富士河口湖町で閉校する各校は隣接校に統合される。
県によると、昨年5月時点の県内の小学生は4万3250人で、10年前より1万524人少ない。
中学生は3664人少ない2万3873人だった。
減少に応じて学校の統合が進められ、来年度の市町村・組合立の小学校は10年前より32校減って174校、中学校は17校減って80校になる。
資料:朝日新聞

身延町立久那土中。
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甲州人国記(4)

甲州人国記  “庶民の心を生きる ”  ②-2   昭和58年 

石和町の印刷屋の息子で、甲州庶民の暮らしに溶け込んで育った深沢にとって、都会のインテリが驚くような「こわい小説」も、茶飲み話群像の深沢流再構築であったのだろう。
「ポイと家の塀を乗り越えて男に会いに行った家の女中」の生命力に共感し、中学生の深沢は「貧乏人の糸織り工女とだけ付き合っていたよ」。
『楢山節考』の舞台は、飯田竜太の住む境川村。
主人公の老母「おりん」の原型は、やさしく甘い実の母親だった。
「母はがんで死んだ。
おれもがんでころりと死にたい」と真顔。
「反えらい人」の哲学に生きる。『笛吹川』と『風流夢譚』をどう見るかは、その人の考え方を判定するリトマス試験紙だよなあ、と不適の笑いも浮かべた。
ギタリストだった深沢は、『楢山節考』を日劇ミュージックホールの楽屋で書いた。
国内外客の観光名所になっている舞台で、いまスターは、「お姉さん」と呼ばれる座頭の岬マコ(32)。
御坂町育ち、「分校の遠足はいつも三つ峠だけだった」。
三人姉弟の長女。父が愛人をつくって貧乏暮らし。
中学を出てすぐ踊り子に。演出家は岬を「最後の踊り子バカ」という。
「ヌードでなくて芸で見せる」岬の舞台には、哀切さに通ずる緊迫感があった。
「ハングリーでないとやって来れない世界でした」。
「岬は、若い子っを目立たせようと、自分は一歩退くようなところがある」の評も。家におさまった父は、時折、劇場にやって来て、「お前が一番きれいだったよ」。
激しさと内気が同居する目が、舞台ではいつも遠くを見ている。(敬称略)  
資料;朝日新聞 甲州人国記 “庶民の心を生きる ” ② 昭和58年より。 
岬マコ 御坂町育ち。
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甲州人国記(3)

甲州人国記  “庶民の心を生きる”  ②   昭和58年 
                          
「ここは、甲州のように山がねえからね。甲州の山は、なんともいえんさ」。
関東平野が広がる埼玉県南埼玉郡菖蒲町の「ララミー農場」内のすみか。
主人の七郎さんは、テレビと石油ストーブに向い、土間のヘリに腰を下ろしていた。
同居人の「ミスターレモン」が、庭で採れたカキをむいてくれる。
「カキは少し未熟な方がうまいだけんど」「うちのミソもひとつなめてみんけ」。
自家製のミソとキュウリ。天然の香が舌にしみ入る。
甲州方言まる出しの七郎さんは、作家の深沢七郎(69)だ。
四十二歳の「厄年」に書いた小説『楢山節考』は、「恐るべき小説」と文壇に衝撃を与え、続く長編『笛吹川』で、武田家三代統治下の庶民生活流転の相を描く。
四十六歳の折り、中央公論に『風流夢譚』を発表し、「天皇家を傷つけた」と右翼の攻撃を受けて逃亡、流浪の生活。四十年以来、農場に住み、三十五アールの畑に桃、梅、クリ、ナシを植え、ネギ,菜っぱ、大根、キュウリを作る。「賞をもらえん人に悪いから」と『みちのくの人形たち』の川端康成賞受賞を拒否し、谷崎潤一郎賞は受けて話題をまいた。
作家・深沢の素地を培ったのは、この「茶飲み話」「縁側話」での見聞だったろう、と思えてくる。
『笛吹川』では、お館(やかた)様である武田信虎、信玄と庶民とのかかわりをはっきりさせたい、と一年がかりで資料を調べた。続く (敬称略)  資料;朝日新聞

甲州方言まる出しの深沢七郎,石和町生まれ。

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スペインの旅(10)

スペインの旅(10)

「グラナダ」を紹介します。
アンダルシア地方の中心地グラナダはミハスの東、約170kmのところにある。
スペイン最後のイスラム王朝、ナスル王国が築いた町。
アルハンブラ宮殿/グラナダは、15世紀末にキリスト教徒に奪回された。
「アルハンブラ宮殿の思い出」はスペイン・ギターの名曲として今でも名をとどろかしている。

雨のため城は撮影できず。 宮殿からの眺望(雨天)
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甲府工・田名網監督

甲府工 監督・田名網英二さんの思い出 ②   昭和55年  越智 正典 (解説者)

「いやあ、広島と阪急の 日本シリーズがあったときは困りましたな 深澤修一が死球で出塁すると、代打が佐野嘉幸で捕手が中沢伸二
こりゃあ弱りました。深沢はまだ若いから、死球なら上々。
ところが、佐野はもうベテランだし、南海から広島へ行った ばかり。                     

なんとか、一本打たなきゃあ立場が悪くなるでしょうよ。
でも、キャッチャー中沢。                                         

ヤツも、やっとポジッションをもらったばかりでしょ。
こういうところで打たれたんじゃ当然評価がさがるし・・・」
その中沢が、まだ一軍半でくさっていたころ、田名網さんはこの教え子 に会いに行った。
「宿に行ったら、パイレーツで一緒だった関口君 (当時阪急コーチ。現近鉄)から、中沢がコーチのいうことをきかない 」という話を聞いたので、隣の部屋に呼んで、わしは怒った。
なんということだ。
一人前にもなれんで。
プロ野球といえども一つの社会。
その社会のルールも守れんのか。
[そんなことならもう甲府へ帰ってくるな、と腹の底から怒った」「そうしたらヤツ、目からポロポロ涙を落としましてな。プーとふくれて部屋から飛び出して行きよった。                               それから甲府へ帰ってこなかったみたいだけど、わしはあのときのヤツの目が忘れられなくて こまりましたよ」中沢はやがて頭角をあらわし、一軍に定着した。
次の年でしたか、ヤツはオフになると、わざわざ学校(甲府工)に来られたんですよ。
学校の前にあるパン屋のパンを全部買い占めましてね。
野球部屋の後輩に食べさせてください。
山のようなパンを見たときは、びっくりしましたよ。そしたらヤツ、先生、すいませんでしたって、あの時のことをあやまって、また大阪へ戻って行ったんです。
こう話してくると、田名網さんの顔からは、往年の勝負師の表情は、もうどこにもなくなっていた。
二十数年間、生まれた故郷を離れ、甲府の町で少年たちを育ててきたこの男の顔には、慈愛がしみじみとにじみ出ていた。中沢は阪急の捕手として、V4に向ってチームをリードしている。  (終)

中沢伸二(M39)阪急、宝塚市在住。
深澤修一(M41)広島、北杜市在住。   
佐野嘉幸(M37)広島、中野市在住。         小山市出身、田名網英二。
中澤                                      田名網
       


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甲府工・田名網監督

甲府工 監督・田名網英二さんの思い出 ①   昭和55年  越智 正典 (解説者)

太宰治は「甲府はシルクハットをさかさまにし、そこに小旗を立てたようなシャレた町」といったが、その甲府で甲府工野球部の監督、田名網英二さんに会った。
栃木商から法政大。
戦後すぐの東京六大学を飾った名プレーヤーの一人である。
横に張った愛きょののある耳。
負けるもんかといいたげに、バッターボックスに向って行った肩。
昔と少しも変わっていない。
田名網さんは、行ってみれば法政の”ビリー・マーチン” であった。
法政が優勝した23年秋のリーグ戦では一番バッターで、よく二塁打をかっとばした。
あるときなどは、初球をいきなり二塁打。
田名網さんが涼しい顔をして二塁ベース上に 立ったときまだサイレンが鳴っていた。
田名網さんは、あのときと同じ顔をしていた。
卒業後、西日本パイレーツに入ったが、すぐにやめてそれからずっと甲府工の社会科の先生で、監督さんである。
実家は江川クンちがある栃木県小山。
そんなことから江川が、慶応を落ちて法政を 受験するときには、作新学院の監督、山本理先生が心配して「大丈夫でしょうか」と、町の 先輩である田名網さんに何度も電話をかけた。
江川は合格。
練習がスタートすると、ある晩、山本先生は小山から甲府へ車をとばして「お騒がせしました」と、田名網さんにお礼をいった。「江川のかげには山本先生のような、えらい先生がいるんですよ。ヤツ、 わかっているかなあ」そういう田名網さんもえらい。
だいいち、会うと教え子 の話ばかり。
明治で活躍した志村もその一人。(続く)
田名網監督       エース荻野芳春(M32)、遊撃手野田育男(M33)らが活躍、甲子園出場を果たした。
田名網監督   

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故郷の写真

冬の甲府盆地と南アルプス       日立市在住 椙山忠夫(M36)

私の実家は最近話題のリニア新幹線[山梨駅]予定地の近くです。
学校へは自転車で通学しました。
自転車クラブに入り、毎日、昇仙峡長瀞橋まで往復練習しました。
たまに御坂トンネルを越え河口湖まで行った思い出があります。
県予選で優勝して高校総体に行けたのでしたが日立の就職試験とかち合い出られませんでした。
楽しい高校生活を送りました。

冬の甲府盆地と南アルプス 。
実家から日立に帰る際、中央道境川PAで写した写真です。   

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三角屋根の校舎、右上は千代田湖、左上は昇仙峡。
左は体育館、2本の鉄塔は電気通信科のアンテナ、右は横沢橋。
中央に見えるのは緑が丘球場。左下は自動車学校(現:駿台甲府高)
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水戸NMG

第330回NMGゴルフコンペを行いました。
(那珂カントリー倶楽部・日立製作所水戸工場・ゴルフクラブ)

期日 : 1月12日(火)
場所 :  那珂カントリー倶楽部
コース: 東⇒中
天候:  曇り
<成績>
優勝     石田 周二
2位     市野沢 伊司
3位     渡辺 敬一郎 
4位     米山 京子
5位     大塚 静男 
6位     船田 健夫
7位     村上 博靱
8位       秋山 郁也
9位     大狭 明
10位    米山 三美  

ドラコン   米山 三美     大塚 静男    秋山 郁也  村上 博靭
ニアピン   秋山 郁也×2  船田 健夫  村上 博靭  

朝方から寒く今冬一番の冷え込みでした。
時々チラホラ雪が舞いみなさん厚着で対処していました。
さて、終わってみれば上記のような成績、長老の石田 周二さんが優勝、準優勝は市野沢 伊司さんでした。
石田さんはこのコンペのほかにサニーフィールドの例会にも毎月参加して腕を磨いているそうです。
優勝出来たのは「ドライバーが調子よかったので」と笑みを浮かべていました。
このような寒い日に長老が頑張っていると我々寒いなどと言っていられませんね。

2位の市野沢 伊司さんはゴルフ場に最も近い瓜連の出身。
このところ毎回上位に食い込んで安定したゴルフをやっています。
市野沢さんは良くこのブログを読んでくれるので小生とは共通の話題で話がかみ合います。
と言いますのも彼の姪っ子さんが最近よくテレビドラマに出るのでその話をしたところ、実は昨日ご年始に行ってきたばかりとのことでした。
その姪っ子さんは以前、NHKで2回放映された「命のあしあと」で 「口てい疫」で殺処分された畜産農家の一人娘を好演した須藤 菜々子さんです。
最近は1月6日の「刑事・吉永誠一13」の中で吉永菜摘役でレギュラー出演していました。
機会があったらぜひ皆さんも見てください。
それでは次回も寒さに負けず頑張りましょう。 


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身曾岐神社

 
初詣、身曾岐(みそぎ)神社2年ぶりトップ 武田神社抜く  山梨県 
 
県警地域課は6日、正月三が日に県内の主な神社仏閣を訪れた初詣の人出状況をまとめ、公表した。
人数はいずれも主催者調べ。
今年は身曾岐神社(北杜市)が前年比3万1500人増の11万6500人で、2年ぶりにトップとなった。
2位は武田神社(甲府市、同3千人増)の10万3千人
3位は身延山久遠寺(身延町、同変わらず)の4万5千人
4位が甲斐一宮浅間神社(笛吹市、同5千人増)
4位が北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市、同変わらず)の4万人などとなっている。

県警は結果について、「温かい正月だったので県北の北杜市でも参拝しやすかったのでは」(地域課)と分析。
身曾岐神社も「元日は午後4時半まで行列が続いた。
長野、愛知など県外から車で来る方が多かった」としている。資料;産経新聞

北杜市小淵沢町にある身曾岐神社
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甲州人国記(2)

甲州人国記(2)“山々の咲き合う国” 1983年  昭和58年 

飯田竜太は芸術院賞恩賜賞をうけているが、芸術選奨文部大臣賞の俳人に御坂町育ちの石原八束(やっか)(63)。
旧制日川中(現日川高)時代に結核を病んで俳句に親しみ、蛇笏、竜太の家にもしばしば出入りした。
「蛇笏先生は、すごく目の光る、人間のとらえ方が厳しい人でした。一面、情愛の人、涙の人で、東京に心を残しながらも、峡中で家を守って俳文学を切り開いた」。
『雲母』を竜太と編集したこともある。
いま、俳誌『秋』を主宰、独自の句境を展開しながら、評伝『飯田蛇笏』の大作に取り組む。
石原が心酔し評伝もある詩人三好達治は、「地主飯田家」を守らねばならぬ蛇笏に、「孔子様みたいなことを言っていないで、こんな家は飲みつぶしてしまえ」といったそうだ。
その三好は石原に、「俺はあんなことをいったけれど、蛇笏さんのまねは出来ねいよ」と述壊した。
石原の誌心をも、桑畑の向こうの南アルプスが育てている。
  死は春の空の渚に遊ぶべし  
空は山々を浮かべる甲斐の空である。
「峡中の人」蛇笏の記録を調べるために、石原は、亡くなった身重の妻と一緒に二年間、図書館に通った。
曇り日の冬の村落は、人声もなく真昼もしっとり眠りつゞけ 部落を囲む山脈は陰陽けぶりてさみしーと、詩誌『葡萄』の主宰者、詩人堀内幸枝(62)は歌う。
同じ甲州出身の精養軒社長千葉幸男(65)の妻として東京に住むが、「故郷は墓の下の土まで好き」な甲州の語り部。故郷市之蔵村を歌った詩集『村のアルバム』を、三好達治は「人の心にしのび入ってくる風」といった。
父は、山沿いの村『雲母』の俳人で、少女の堀内は句会の席に茶を運んだ。  (敬称略) 
資料;朝日新聞 甲州人国記 “山々の咲き合う国” 昭和58年より。 

石原八束氏 御坂町育ち。堀内幸枝 東八代郡御代咲村(現在の笛吹市一宮町市之蔵)生まれ。
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スペインの旅(9)

スペインの旅(9)

今回は「グラナダ」を紹介します。
「ミハス」の東約170kmのところにある。
山間の地であるため、洞窟(タブラオ)がフラメンコの劇場・店内となっている。
観光客はこの洞窟の中で鑑賞する。
 
左端のダンサーから踊りつないでいく、男子ダンサーが親方かも。
右端のギター奏者が、なかなかの演者でした。
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見習いフラメンコダンサー?、年齢は6~7才?で良く踊っていました。
後方のダンサーの娘と思われる。
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鏡開き

 鏡開き行われる。   甲府工業高等学校

あけましておめでとうございます。
1月7日(木)、始業式のあと毎年恒例である鏡開きが行われました。
沓間校長先生をはじめとする、生徒会長の宮川君、中村同窓会長、芦澤PTA会長から激励や抱負を語っていただきました。
今年は「高校総体総合優勝」や、「甲子園出場」を達成できるように祈念しました。
  

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第85回勝田もみじ

第85回 勝田もみじ会ゴルフコンペの成績
(日立製作所 勝田工場ゴルフOB会)

期日    1月7日(木)
場所     勝田ゴルフ倶楽部
集合時間  8時00分
スタート  8時30分

<成績>
優勝      村上博靱    
2位     久賀浩人 
3位     福原徹雄
4位     吉田二三男
5位     関 正俊
6位     高嶋 満  
7位     高崎修一

ブービー   高嶋 満 
ベスグロ   福原徹雄
ニヤピン    関 正俊   福原徹雄   久賀浩人  高崎修一
副賞      関 正俊   高嶋 満   久賀浩人

<評> 
朝から温かくゴルフ日和となりました。
INからのスタートとなり両サイドが狭いので緊張しました。
ここ数年1月は地元の勝田ゴルフ倶楽部と決めています。
その理由は例年なら寒い時期なので少しでも温かい海岸に近いこの場所を選んでいます。
さて、成績はと言うとおかげさまで今回も僅少さで優勝させてもらいました。
3連勝です。
次回は2月4日、茨城ロイヤルゴルフ倶楽部。頑張りましょう。

勝田ゴルフ倶楽部、フロントがロビーの真ん中にあるのが面白い。
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天然記念物一瀬桑

 市川三郷町山保地区 桑の郷、原風景復活へ お茶に活路。

寒暖差の激しい日には雲海に包まれる山あいの市川三郷町山保地区。(四尾連湖がある所)
かつて養蚕に不可欠な桑の一大生産地だったこの地に桑畑が広がる原風景が復活しつつある。
桑の葉の用途は、蚕の餌ではない。
人が飲む桑茶だ。韓国出身の韓成さん(37)と神奈川県平塚市出身の楠三貴さん(33)の夫婦は、地元産の桑の葉を使った茶を販売する会社「桑郷」(同町山保)を経営する。
市川三郷は、蚕の餌として全国に普及した「一瀬桑」発祥の地とされる。
桑の葉には血糖値の上昇を抑える作用があるとされ、健康志向もあり注目されつつある。
韓さんは地元の桑の歴史や由来を知るにつれ、「これはもっと活用できることがあるのでは」そう思うようになった。
当初は、そうした農家から桑の葉を購入していたが、農家に「自分たちに直接、畑で栽培させてほしい」と訴えた。
耕作放棄地を利用するなどして、今は6ヘクタールの畑で桑4万6000株を育てている。
同社の塩沢拓郎さん(29)は以前、桑郷を取り上げたテレビ番組を見て、「自分が生まれ育った市川三郷で熱い思いを持って頑張っている人がいる」と胸打たれ、それまでの勤務先を辞めて入社。
昨年は初めて桑の実の栽培に挑戦した。
 一瀬桑
明治時代に甲府市に県の勧業製糸場が建設されるなど蚕の生産拡大が奨励された。
餌となる桑の生産量も増大し、中でも市川三郷町「一瀬桑」は、旧三珠町上野の養蚕農家だった一瀬益吉(後に上野村村長)が品種改良の末に発見したとされる。
葉が大きくて厚く良質とされ、全国に普及した。現存する原木は県天然記念物に指定されている。
資料;毎日新聞より
市川三郷町上野地区、かっては一瀬桑がいっぱい植わっていた。
昔桑の実(かみず)を食べて口の周りを紫にしたことを思いだした。
なお、ここが”初代市川団十郎発祥の地”とされている。
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やまなしパワー

新規企業 6%電気値引き やまなしパワー

山梨県は4月から東京電力と共同で企業に安く電力を供給する事業「やまなしパワー」を始めるにあたり、電力量料金単価の値引きの割合を4日、発表した。
県外企業の誘致などを進めるため、新たな事業所を県内に設置するなどした場合には6%、また設備投資を促すため、県内の中小製造業者を対象に3・5%値引きする。
県企業局の水力発電所で発電した約4億7000万キロ・ワット時を活用し、値引き分は東電が負担する。
同局によると、6%の対象となるのは、製造業や情報サービス業など。
新たな事業所を設置する場合や、県内企業では売上高の10%以上の設備投資を行う場合に、供用開始から3年間値引きを行う。
最大で年間700万円程度の減額になるといい、年間約70社の利用を目標としている。
募集期間は2月15日~2018年12月31日。
また、中小製造業者が事業を利用した場合、最大で年間70万円程度の割引となるといい、年間約1200事業所の利用を見込んでいる。
割引の期間は4月からの3年間。申請は今月29日まで受け付けており、すでに約100件の問い合わせが寄せられているという。
県では今後、県外企業に出向くなどして事業の周知を進めるとしており、後藤知事もこの日の定例記者会見で、「他の自治体にはない事業。
県内への企業進出を促進するため、先頭に立って誘致を進めたい」と話した。資料;読売新聞

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書道パフォーマンス

水戸二高「書道ガールス」による書道パフォーマンス  茨城空港

朝起きたら家内がいきなり後輩たちが、茨城空港で「書道パフォーマンス」をやるから見に行こうよと言われて行ってきました。
今まで見たことがなかったのでどんなことがやるのかなと興味はありましたが。
14:00から約30分間書初めを行いました。
小生は2階ロビーから眺めていたので筆使いはよくわかりませんでしたが、いづれも一生懸命やっている生徒たちに観客から大きな拍手を送っていました。
作品を見るとダイナミックでまた女性的な色使いなどが現れ上手でした。
しぶしぶ行ったけど帰りは楽しく帰ってきました。

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甲州人国記(1)

甲州人国記(1)“山々の咲き合う国” 1983 年( 昭和58年) 
                            
一月の川一月の谷の中
東八代郡境川村に住んで、俳句誌『雲母』を主宰する飯田竜太(62)が愛する自作の一句である。
俳壇の中で、ひときわそびえ立つ峰だった竜太の父蛇笏(だこつ)の句に、「夏曇群るゝこの峡中に死ぬるかな」があるが、「枯れ山の月今昔を照らしゐる」 (竜太)山峡の村が、父子二代の誌心を澄みきらせてきた。
甲斐は山々の咲き合う国である。
蛇笏は「芋の露連山影を正うす」と詠み、蛇笏の友、前田普羅は「奥白根かの世の雪をかゞやかす」と絶賛した。
東南に裏富士、西の天に南アルプスを望み、「甲府盆地と御坂山系のきれめのあたり」の谷間に住む竜太の心を染めるのも、山、雲、川の表情である。
歳月が重く沈み込んだ石畳の道を下って訪れた飯田家は、松の巨木が青々と生気を放ち、外界を隔離するように静まっていた。「あの山は誰の山だどっしりしたあの山  井伏鱒二」の額がかかる青畳の部屋で、「ここでは、音も匂いも純粋ですね。とくに冬は音が澄んでくる」と着流しの竜太。
いま、『雲母』の同人七千人。俳壇の第一人者といわれる竜太だが、父蛇笏とは、俳句の話しをしたことはほとんどない。
「父は私が文芸にかかわりを持つことを危険視していましたから」。
長兄と三兄を先の戦争で失った。
「私には、優秀な人は戦争で死んだといううしろめたさが、常につきまとっています」 甲斐の山々は、一つ一つが自己主張している、と竜太。
その山に直面しながら、流行を追わず、変わらないものにすがろう、と思い定める。
「私は後ろ髪をひかれるようなもの、メメしいものの方が、旧軍隊を支えた虚構の大義より大事だと思う。一職人として『クモの糸』のようなささやかなものを大切にしていきたい」と。(続く)
(敬称略)     資料;朝日新聞 甲州人国記 “山々の咲き合う国”  昭和58年より。

  境川村に住む飯田竜太
 飯田竜太

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甲州野梅

早くも梅八分咲き  市川三郷町楠甫。

市川三郷町で早くも梅の花が開いた。
望月悟さん(70)宅の「甲州野梅」という種類で、甘い匂いを漂わせている。
12月2日ごろに花をつけたのを確認し、今ではすでに八分咲き。
「例年1月の半ばに咲き始めるのに、本当にびっくり」。
裏山ではすでにフキノトウも芽を出している。
悟さんは、「この時期だと厚いセーターを着ているが、今年は全然いらない。
やはり暖冬の影響で咲いたのか」。
毎年、まだつぼみの枝を折り、室内のストーブで温めて正月用に開花させていたが、「今年はもうそのまま飾っています。気候のせいでも梅が咲くというのはいいことですね」と奥さん。
山梨峡南地方にも温暖化が?
資料;朝日新聞

富士川を渡った所がのどかな楠甫地区。
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箱根駅伝

<箱根駅伝>「山登り」5区は上田選手
2016年12月30日







優勝を目指し練習を重ねる山梨学院大の選手たち(甲府市で)

 ◆「花の2区」ニャイロ選手
 来年1月2、3日に開催される第93回東京箱根間往復大学駅伝競走(関東学生陸上競技連盟主催、読売新聞社共催)に31年連続31回目の出場をする山梨学院大は29日、区間走者10人を発表した。今大会から距離が短縮される「山登り」の5区には、今年の出雲駅伝と全日本大学駅伝で1区を走った上田健太選手(3年)が選ばれた。(内山景都)
 上田誠仁まさひと監督は、5区は距離が短くなってもタイム差が開くと予想し、重要視している。上田選手は、夏合宿や練習で上り坂でも余裕を持って走っており適性があるという。上田監督は「5区で流れを切らさないよう自信を持って走ってほしい」と期待をかける。
 一方、各チームのエースが走る「花の2区」には、2年連続でドミニク・ニャイロ選手(2年)を配置。ニャイロ選手は10月の出雲駅伝、11月の全日本大学駅伝でアンカーを務め区間賞を獲得するなど調子を上げている。3区は永戸聖しょう選手(2年)を選出。上田監督は永戸選手について「今年の全日本大学駅伝後、更に調子を上げている。いい流れをつなげてほしい」と話している。
 また、区間内で寒暖差が激しくペース配分が難しいとされる7区には市谷龍太郎選手(3年)を配置した。市谷選手は前回まで2年連続で7区を走っており、その経験が買われた。
 補欠メンバーにも箱根駅伝を経験している上村純也主将(4年)、佐藤孝哉選手(4年)、秦将吾選手(4年)、河村知樹選手(3年)と力のある選手がそろっている。
 区間走者は当日、4人まで補欠選手と交代することが認められている。上田監督は「それぞれの選手の調子をみて当日の起用を考えたい。今回は優勝を目指してきたチーム。チーム全体で戦うという気持ちでやっていきたい」と意気込んでいる。
2016年12月30日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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