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ちょっくらよっていけし 

https://mh182130.jp 

ラウンドアバウト

富士川町に環状の交差点…24日から供用開始。

信号機を使わず、環状の道路に左折で出入りする構造の交差点「ラウンドアバウト」が24日午前10時から、山梨県内で初めて富士川町鰍沢の峡南医療センター富士川病院の北側にある町道交差点で供用開始した。20日に、鰍沢署による周辺住民への講習会が開かれた。ラウンドアバウトは構造上、交差点に進入する車が減速するため、重大事故を減らせ、信号機がないため、電気代を削減できるという。講習会では同署員がパトカーで車の動きを実演。
▽環状路を走る車が優先
▽環状路は時計回りにゆっくり走行する
▽交差点を出る時に左折の方向指示器を出す――などと説明した。参加者からは「近くの病院には、他の地域から車で来る人も多い。初めての人も通行方法が分かるように看板などを付けてほしい」などの声が聞かれた。資料;読売新聞
「ラウンドアバウト」は中東ドバイの郊外にはいたるところにありました。
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観光客4割増

大村さん効果で観光客4割増 出身地の韮崎市。

大村智さんの出身地の韮崎市では、ノーベル賞授賞が決まった去年10月から12月までの3カ月間に、市内を訪れた観光客が前の年の同時期と比べて約4割増えていたことが、同市の調べで分かった。韮崎市商工観光課は、市内13の観光施設の来客数を3カ月ごとに調べている。これによると去年10月から12月に市内を訪れた観光客は約15万6千人で、前年同時期の約11万人の、約42%増だった。特に、大村さんが館長を務める韮崎大村美術館は約3万8千人が訪れ、前年同時期の約3千400人の10倍以上に。美術館に隣接する白山温泉は、前年同時期の1万3千人から、1万6千人へ。市では「大村さん効果は非常に大きかった」と話している。甲府盆地に春の訪れとともにさらに大勢の人たちが韮崎を訪れることでしょう。資料;朝日新聞より。
JR中央本線韮崎駅:かっては「スイッチバック」があったが昭和45年ころ電化に伴い廃止された。
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新山梨環状道

新山梨環状道「石和・広瀬-甲府・桜井」、来年度から事業化へ。

県は1日、国が整備計画中の新山梨環状道路北部区間のうち、笛吹市石和町広瀬-甲府市桜井町間(2キロ)が平成28年度から事業化される見通しになったと発表した。事業費は230億円。国道20号バイパスの広瀬交差点付近から北上。JR中央線と交差し、甲府市桜井町の西関東自動車道桜井ランプに至る計画だ。
国土交通省が同日、この区間を国直轄の「新規事業候補箇所」に選定した。国交省の社会資本整備審議会が今月上旬、整備区間として評価し、月内に最終決定の上、新年度から事業化調査を始める見込みだ。新山梨環状道路は13年に一部開通。現在までに、中央市、南アルプス市などにまたがる南部、西部区間の合計19キロで供用が始まっている。
また、笛吹市石和町広瀬から南部区間(甲府市西下条町)を結ぶ東部区間(7キロ)も、25年度から事業化が始まった。甲府市や甲斐市を通る北部区間の整備が遅れている。後藤斎知事は同日、「すでに開通した区間で、沿線人口が増加するなど、ストック効果は絶大だ。今後は39年のリニア開業までに、新山梨環状道路の全線開通を目指す」と歓迎のコメントを発表した。資料;産経新聞
盆地の交通網が着々と整備されている。

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カゴメが北杜に

「カゴメ」が北杜に農園…山梨県と振興協定。

社長「大きなビジネスチャンス」
県は15日、食品大手「カゴメ」と農業振興を図る協定を結んだ。
県が同社の農地確保に協力する一方、同社も県と連携して、県産農産物の生産拡大や県産農産物を活用した商品開発などに取り組むことになった。
この日、県庁で後藤知事と同社の寺田直行社長が記者会見し、発表した。
会見で寺田社長は、今秋に北杜市にサラダ用の葉野菜「ベビーリーフ」を生産する農園を整備するとも発表。
ベビーリーフはルッコラやミズナなどの若い葉の総称で、手軽にサラダなどに使えることから人気が高まっているという。
同社は地元農家らと共同出資して新会社を設立し、同市高根町箕輪の休耕地約2.5ヘクタールにビニールハウスを建て、今秋から生産を開始。年間の売り上げ7億~8億円を目標にカゴメブランドとして関東地区に出荷するという。
同社では、既に今月、県産のモモを使った野菜ジュースを県内限定で発売。
連携を機に県産食材を使った商品開発を積極的に進めるといい、寺田社長は「山梨は農業発展に期待できる県。大きなビジネスチャンスがある」と話した。
後藤知事は「『農業参入なら山梨』と思われるようにしていきたい」と力を込めた。
資料;読売新聞
日本で一番日照時間が長い北杜市に着工されることは喜ばしい。


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避難生活

福島から山梨へ避難した家族の思いは…②

被害を及ぼした東日本大震災発生から、3月11日で5年を迎えた。
とりわけ原発事故のため、福島県から避難してきた人たちの心情はさまざまだ。
帰郷に向けて準備を進める人、安心を求めて山梨永住を決意した人、さらに「帰りたいけど、帰れない」と悩みを抱く人…。都留市に暮らす家族の思いを聞いた。
                   ◇
いわき市→都留市 
山野辺さん 子供に安心な場所、永住を選択余震が収まるのを待ち、いわきに戻ったが、「外に出られない生活はいや」と25年1月、家族5人で都留市の一戸建てを借り、避難生活を始めた。山梨で4度目の春を迎える。
妻の智子さん(40)は「『外気に触れるな』という、ただならぬ状態でした」と当時のいわき市の状況を話す。
自宅周辺は福島第1原発から48キロ離れ、避難指示はでていなかった。
山野辺さんは、夫婦と小学6年の長女(12)、同4年の長男(10)、同2年の次男(7)の5人家族。
安全な場所にみんなで避難したかった。
避難先を考えていた矢先に、本で読んだ都留文科大元学長の太田堯(たかし)氏の「外で遊ばせる教育が幼少期には必要」という考えに共感。
都留市には、5人家族が住める一戸建てのみなし仮設住宅があることも知った。
「これは何かの縁。都留へ行ってみるか」(隆男さん)と移住先が決まった。
隆男さんは工場で働き出した。いわき市の市職員時と比べ給料は安い。
残業で時間外手当を稼ぐ。「福島に帰りたい」の思いも家族をまとう。
「福島へ帰りたいのに帰れない」。気持ちが塞ぐこともあったという。
それでも生活は落ち着いてきた。長男と次男は少年野球に夢中だ。
「都留に永住しよう」。
夫婦の気持ちが一致した。子供たちにとって最も大切な“安心して外で遊べる環境”を求めた結果だ。
資料;産経新聞より。
富士山の近くに住んで元気を取り戻して下さい。

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避難生活

福島から山梨へ避難した家族の思いは…①

東北を中心に甚大な被害を及ぼした東日本大震災発生から、3月11日で5年を迎えた。
復興への歩みを続ける被災地と対照的に、県内では風化も懸念されているが、忘れてはならないのが県内に避難し、共に生活している人たちの存在だ。
とりわけ原発事故のため、福島県から避難してきた人たちの心情はさまざまだ。
帰郷に向けて準備を進める人、安心を求めて山梨永住を決意した人、さらに「帰りたいけど、帰れない」と悩みを抱く人…。
♦南相馬市→甲斐市 
福島県南相馬市小高区でとんかつ店「タケヤ」を営んでいた掃部関(かもんぜき)豊さん(49)一家6人が甲斐市に住み始めたのは、平成23年4月1日。
原発事故の直後、妻、有希子さん(48)の都留市に住む妹から「山梨の日本航空学園が被災した子供を受け入れている」と知らされ、同学園に連絡。数日後に山梨行きを決めた。
「入学試験もなく、長男(22)と次男(20)は学園の学生寮、長女(16)と三男(13)と夫婦は4DKの教員住宅に入居でき、当面は家賃なし。即断即決しました。ただ、こんなに長くなるとは…」
入居後すぐ、掃部関さんは学園の食堂で調理の仕事を始めた。
妻もパートに出た。「私らは恵まれてる。住居も収入もあったから」。
4月から長男は東京、次男は名古屋で社会人生活をスタートする。
昨秋に除染作業が終了しており、掃部関さんは月1回程度、自宅に戻っている。
とんかつ店があった商店街では理髪店、金物屋などが営業を始めている。
原発事故から5年。福島に戻るか、新天地でやり直すか…。家族の思いも、ときには揺れる。
『戻る』『戻らない』の判断に正解はなく、自分で決めるしかない。                  
資料;産経新聞より。
故郷は遠きにありておもうもの・・・

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同窓会ゴルフ

 第106回 甲府工業茨城同窓会ゴルフコンペ(3月分)の結果 
1.期日    平成28年3月24日(木)
2.場所   日立高鈴ゴルフ倶楽部
3.スタート  9:03
<成績は以下のとおり>
優勝      村上 博靱
準優勝     木本 貴一      
3位      木本 土八
4位      今井 勝友 
5位      広瀬 英貴
6位      山村 正英  
7位      深澤 弘義
8位      田原 和雄
      
ドラコン   木本 貴一×2  今井 勝友×2  
ニアピン   広瀬 英貴×2  木本 貴一
ブービー   深澤 弘義
ベスグロ   村上 博靱
副賞     村上 博靱

朝から時折小雪が舞う寒い天気でした。
にもかかわらず大勢の方々がゴルフ場には見受けられました。
大きなコンペが入っていたようです。
さて、競技は順調に進み終盤、谷越えの120ヤード、手前には深いバンカーがある難しい7番ホール。
先に木本土八さんがニアピン1メートルにつけていたところに、弟の木本貴一さんがあわやホールインするのではないかとカップまで10センチ、きわどいところにのせてきました。
まじかで見ていた仲間たちから、あんなの初めてみたので大きな歓声が起こりました。
山村さんのティーショット。小雪が舞っていました。  
4111  
木本(貴)さんの惜しいホールインワン。左のフラグは木本(土)さん、まさに兄弟対決でした。
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甲州人国記(16)

甲州人国記  “財界甲州党の系譜” ⑦-3   昭和58年 
                              
先代根津に見込まれたのが、早大を中退し故郷で禅坊主と碁など打っていた小林中だ。
根津が社長をしていた富国徴兵保険の部長にすえ、小林は三代目社長となった。
いま六代目社長が一宮町に故郷のある古屋哲男(67)五代目社長は森武臣(故人)で飯田蛇笏の実弟。
不文律のように歴代、社長は甲州人である。
戦後、富国生命となった富国徴兵は、兵隊さんの保険会社だったから敗戦でガタガタ。
「結局、株式投資で設けて立て直した。
生保業界は株に出動してくれという当時の池田蔵相のお声がかりだから強い。
投資制限はあったが、大蔵省には毎日、ガリ版刷りの始末書を出して、総資産の六割ほどまで買いまくったかな」と古屋。
戦後の株式市場を「富国」はわかせた。
乱世に生き生きした小林や森の顔が目に浮かぶ。
日産、日立をバックに堅実経営の日産生命相互社長は、旧制日川中、早大で古屋と同窓の矢崎恭徳(65)。
一方、「レジャーの総合経営」をうたう後楽園設立に小林一三は力を入れ、異母弟で塩山市の田辺宗英(故人)が社長をした。
現社長の保坂誠(72)は瀋陽で生まれ戦後、塩山へ引き揚げた。
「役割は上手な遊び方の手助け役ですよ」(敬称略)
資料;朝日新聞 甲州人国記“財界甲州党の系譜”⑦ 昭和58年より。 
    
     
矢崎      保坂 

        

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山梨峡北交通

ボランティアバス走らせ140回…山梨峡北交通

東日本大震災の直後からボランティアを被災地に送り続けている「山梨峡北交通」(北杜市)のボランティアバスが11~13日、宮城県気仙沼市での支援活動のため、140回目の運行を行った。
参加者の減少に伴い、バスは次回、今月18日出発の便で最後となるが、今回の参加者からは「復興にはまだまだ人手が必要」などと、別の形でも支援を続けたいという声が多く聞かれた。
今回の参加者は山梨や東京などから集まった41人。
バスは北杜市を11日夜に出発、都内を経由して気仙沼市に到着したのは12日朝だった。

作業後には、気仙沼市本吉町の上郷コミュニティセンターで昼食が振る舞われた。
この日は、地域の人たちが作った温かい豚汁やご飯、白菜の漬けものなどが準備されており、朝から食事を用意した住民の一人、尾形洋子さん(71)は「震災当初は水のペットボトル1本を買うのも大変な時、飲料水を届けてくれた。
あの時から継続して支援してくれたお礼の気持ちです」と話した。
バスは午後3時過ぎに出発。
帰りのバスの中で、同社の野口正人社長(50)は参加者に向かってあいさつし、「残念ながらバスは休止するが、ここまでやれたのは皆さんのおかげです。
必ずまた、支援の機会を考えたい。
皆さんもできる範囲で支援を続けてください」と呼びかけた。
資料;読売新聞
ボランティアバスを走らせ140回…山梨峡北交通様ご苦労さまでした。

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心身障害児を世話

障害児を世話、家族を楽に 小児科で一時預かり  山梨 昭和町。

昭和町河東中島の小児科「げんきキッズクリニック」で、重症心身障害児を日中、一時的に預かる民間サービス「スマイル」が始まった。
日ごろつきっきりで世話をしている家族の負担を、少しでも減らすのが目的。
民間のこうしたサービスは県内では初だという。
スマイルは同クリニックの一部を改築し、人工呼吸器やたんの吸引などの医療ケアが必要な重症心身障害児を一時的に預かる。
クリニックの敷地内には宮本直彦理事長の妻の知子さんが運営する「げんき夢保育園」があり、スマイルで預かった障害児が、保育園の季節行事に参加できるようにする計画もある。
直彦さんは昨年4月から重症心身障害児を持つ家庭への訪問診療を実施してきた。
訪問先で、寝る時間もほとんどないまま障害児の世話をする家族の姿を見て、家族の負担を減らすための支援をできないかと考え、先駆け的存在の「能見台こどもクリニック・輝きの杜(もり)」(横浜市金沢区)を訪問するなど準備を進めてきた。
資料;朝日新聞より。
こころよい話題です。
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山梨名誉県民に

大村さん、初の山梨名誉県民に…顕彰式に出席。

ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智・北里大特別栄誉教授(80)に18日、名誉県民の称号が贈られた。
大村さんはこの日、昭和町で開かれた講演会にも参加し、集まった高校生に対し、「失敗を恐れずにチャレンジしてほしい」とエールを送った。
今回の称号は大村さんの受賞を受け、昨年創設され、大村さんが初めての名誉県民に選ばれた。
県庁で行われた名誉県民顕彰式では、後藤知事が甲州印伝が使われた名誉県民称号記などを大村さんに贈呈。
後藤知事は「これからも山梨に愛情を注ぎ、後進の育成にも協力してほしい」とあいさつした。
普段、茶人帽を愛用している大村さんは、後藤知事から郡内織物で作られた特製の黒の帽子を受け取ると、「かぶり心地がいいね」と笑顔を見せた。
式後には、大村さんは県議会議事堂でスピーチし、「名誉県民に選ばれ、これからは山梨に入るときには少し緊張する」と冗談めかし、「古里は活力の場、思索の場、癒やしの場。微力だが古里に貢献していきたい」と力を込めた。
午後には昭和町のイベント会場で県内の高校生約700人を前に講演。大村さんは研究生活で人のまねは絶対にしないと心掛けてきたと話し、「人と違うことをすれば失敗も多いが、失敗は宝。
失敗を恐れ、チャンスを逃すことを恐れてほしい」と語りかけていた
資料;読売新聞
 故郷をこよなく愛する大村さん。これからもお元気で。

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小中学校閉校へ

小中学校12校、今年度で閉校へ 少子化で統合・・・山梨県。

少子化の影響で、県内の小中学校で統合が進められている。
県教育委員会によると、今年度をもって閉校する小中学校は4市町の12校に上る。
来年度以降の閉校に向けた準備も進んでいる。今年度で閉校するのは、
山梨市
▽牧丘第一小 ▽牧丘第二小 ▽牧丘第三小 ▽三富小、
身延町
▽久那土中 ▽中富中 ▽下部中 ▽身延中、
大月市
▽大月西小 ▽強瀬小 ▽富浜中、
富士河口湖町
▽西浜中
の計12校。
統合され、来年度には山梨市に笛川小、身延町に身延中(新校)が開校する。
大月市と富士河口湖町で閉校する各校は隣接校に統合される。
県によると、昨年5月時点の県内の小学生は4万3250人で、10年前より1万524人少ない。
中学生は3664人少ない2万3873人だった。
減少に応じて学校の統合が進められ、来年度の市町村・組合立の小学校は10年前より32校減って174校、中学校は17校減って80校になる。
資料;朝日新聞
児童生徒数の減少で全国的に起きてる現象で大変です。

我が家の福寿草、今年も咲きました。
2012

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天神山ゴルフ

震災直後の絆から始まった「ひたちなか天神山ゴルフ」を行いました。

早いもので今回が51回目です。 

※期日   :3月18日(金)
※場所   :勝田ゴルフ倶楽部
※スタート ;8:30

なんと云ってもここのゴルフ場はお昼の食事が良かった。
バイキングでなんでも飲み放題。
だから女性グループも多い。
それに反してコース難しい。
距離が長くてOBゾーンや池もやたら多い。
油断するとすぐに池に落ちたり脇の林の中に吸い込まれ,あがってみれば100を切るのはむづかしい。

今日は朝から気温が上がり午前中は4月の陽気。
お昼を過ぎてからは風が強くなり不思議にアゲンストが続くコースとなりなかなかスコアはまとまらなかった。
ゴルフって不思議だよね。
やるたびに何かが変わり同じ打球が打てないのだから。
そう思っているうちに課題をのこして終わってしまいました。
次回は頑張ろうと思いゴルフ場を後にした・・・。
 
  

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谷村工業高と桂高

谷村工業高と桂高 最後の卒業式。

統合に伴い、今春で閉校する都留市の県立谷村工業高と県立桂高では、最後の卒業式がそれぞれ行われた。
このうち、谷村工業高の式では、菊池敏彦校長が「本校の卒業生として未来を切り開いていってほしい」と激励すると、卒業生代表の柴山大明ひろあきさんが「この場所から谷村工業がなくなるのは寂しいが前を向いて歩きたい」と述べた。
また、韮崎市の県立韮崎高では、同高の卒業生でノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智さん(80)が登壇。
事前に知らされていなかった生徒からどよめきが起こる中、大村さんは「一期一会」の言葉を引用し、「人との出会いを大切にすれば人生が豊かになる」と、はなむけの言葉を贈った。
北杜市の私立帝京三高の卒業式には、プロ野球・ソフトバンクに入団した茶谷健太選手(18)が出席した。
この日の式に参加するため、キャンプ地の宮崎県から2月29日に山梨に戻ったという。
茶谷選手は「野球漬けだった」と高校生活を振り返り、「先輩のプレーを参考にして成長したい」と話していた。
資料;読売新聞
いろんなことで活躍して来た両校。惜しいですね。
3月6日(日)偕楽園で写す。
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甲州人国記(15)

甲州人国記  “財界甲州党の系譜” ⑦-2   昭和58年 
                              
初代根津嘉一郎。
「乗り物とアカリをやれ」と若尾逸平に勧められ、故郷山梨市の田地を売って上京、ボロ会社を次々に再生させて鉄道王と呼ばれ、一時は「東電」も支配した。
昭和十五年世を去り、二代目は二十八歳で社長を継いだ。
「スケールの大きいオヤジでした」。
豪快な生き方は、東京・南青山旧邸跡の根津美術館に残る。
敷地二万数平方メートル。
都心の森の美術館に、『那智滝図』はじめ国宝七点、重要文化財七十七点、重要美術品九十二など美術品七千三百、発掘陶磁片一万百。
「高名な学者が『写しもの』とけなした絵でも、父は自分の面識買って『もうけたよ』といっていました。
奈良の骨とう店の美術品を全部買い占め、東京へ十五トン貨車で運んだこともありましたよ」と二代目。
「甲州のタカ」と呼ばれた財界風雲児の面目が躍る。
八十余社の東武グループを率いる二代目根津嘉一郎は、酒もゴルフもやらず「終始一誠意」の先代の教えを守る東大出の優等生。
東洋美術を語ると目が輝く。」
(敬称略)資料;朝日新聞 甲州人国記“財界甲州党の系譜”⑦ 昭和58年より。 
 
一宮町に故郷がある富国生命社長・古屋哲男。        
古屋  

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「赤彩壺」出土

山梨県内最大級の土器「赤彩壺」出土 甲斐市の松ノ尾遺跡

甲斐市教育委員会は、同市中下条の松ノ尾遺跡発掘調査の現場から、県内最大級とみられる弥生時代から古墳時代初頭にかけての「赤彩壺(せきさいつぼ)」が出土したと発表した。
赤彩壺は昨年7月、すでに発掘された古墳時代初頭の周溝墓(しゅうこうぼ)の下から出土。
修復や検証を経て公表された。
高さ84・3センチ、最大径64・6センチ。土器に塗られた赤い物質は、酸化鉄の顔料「ベンガラ」と判明した。
市教委によると、口縁部が打ち欠いて肩部に乗せられ、胴体がつぶれた形で出土した。
葬送や祭祀(さいし)に使われたとみられている。
これまで最大だった甲府市南部の「上の平遺跡」の大型壺(77・4センチ)を超えたことから、市教委は「盆地の南北が同じ文化圏だったと予想される」(生涯学習文化課の長谷川哲也主任)としている。
赤彩壺は6日午前9時~午後3時半に敷島総合文化会館(甲斐市島上条)で、12日から4月10日までは県立考古博物館(甲府市下曽根町)で公開される。資料;産経新聞より。資料;産経新聞より。
興味のある方はぜひ県立考古博物館(甲府市下曽根町)に足を運ぼう。

   

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高校合格発表

公立高後期4099人合格 山梨県。 

県内公立高校の後期入試の合格発表が11日、甲府市立甲府商高を含む28校であった。
全日制は4099人が合格し、実質倍率は1・11倍(前年度1・10倍)。
前期試験を合わせた合格者は5828人だった。
定員に満たなかった全日制13校17学科は再募集を行う。
各校は午前11時、合格者の受験番号を掲示した。甲府市美咲2の甲府一高では、普通科201人、探究科80人の合格者一覧が張り出された。
受験生や保護者が番号を見つけて歓声を上げた。
北杜市立明野中の山口実里さん(15)は「1年生の頃から憧れだった高校に通えることになって良かった。
柔道部に入り、スポーツと勉強を両立させたい」と話した。
県教委によると、再募集の定員は、全日制220人、定時制415人。全日制は14、15日に願書を受け付け、16日に面接と作文などの試験を行う。
合否発表は18日。定時制は出願が16〜18、22日で、23日に学力試験と面接を行う。
25日に合否を発表する。

<全日制の再募集校と人数>
校名    学科名  募集人員
甲府工   建築     4
      電子     6
甲府西   普通     2 
巨摩    普通    16
(うち理数コース13)
増穂商   商業     6
峡南    工業    37
身延    総合     3
日川    普通     9
塩山    普通    14
(うち英数コース14)
      商業    34
都留    普通    28
上野原   総合    28
都留興譲館 普通    10
      英語理数   7
      工業     2
吉田    普通    13
富士河口湖 普通     1
      合計   220
資料;毎日新聞

 

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山梨に永住したい

山梨に「永住したい」57% 県内避難者アンケート

3月11日、東日本大震災の発生から5年を迎えた。
東北3県や茨城県からの避難者の相談に応じ、地元の支援組織を紹介してきた「東日本大震災・山梨県内避難者と支援者を結ぶ会」のアンケートで、避難者の57%が「山梨に永住したい」と回答したことが分かった。
だが、災害救助法で県内のアパートなど「みなし仮設住宅」に住めるのは来年3月末までという。
山梨を“第二の故郷”に決めた人たちの「自立」「支援」が、新たな課題となる。
県防災危機管理課によると、平成23年3月末、原発事故で避難指示を受けた福島を中心に、計969人が県内各地に避難していた。
その後、少しずつ帰還が進み、直近1年間は680人台でほぼ定着。
9日現在では、21市町村に計685人が生活している。
福島県からの避難者が582人(約85%)と最も多く、次いで宮城県54人、茨城県32人、岩手県9人、その他8人-となっている。
結ぶ会は23年9月に活動をスタート。
交流のイベントを重ね、生活などの相談を受け、市町村の窓口やボランティア団体などを紹介してきた。
その後は自主避難の比率が高まり、「永住」希望者が26年12月に49%、昨年11月には57%に達した。
永住希望者の悩みが「住まい」だ。
人口減対策に臨む後藤県政にとって、山梨と縁ができた数百人の「永住希望」は無視できない規模だが、「永住後に生活面で心配があれば、通常の相談・支援で対応する」と慎重だ。
資料;産経新聞より。

避難者の57%が「山梨に永住したい」と望んでいる。
  

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三陸鉄道

 「三陸鉄道・望月社長は私たちの誇り」増穂の同級生らエール 。

東日本大震災で大被害を受け、「あまちゃん」で一躍、有名になった岩手県の三陸鉄道。
全線復旧と沿線復興に尽力してきた望月正彦社長(64)は、増穂町小室(現富士川町)の出身だ。
増穂南小に6年生の夏まで通い、父親の仕事の都合で岩手に転居した。今も交流がある同級生らがエールを送った。
「こんな田舎で育った同級生が、被災地であんな立派な活躍をするなんて。私たちの誇りです」(橋本正美さん)
望月氏は山道を片道1時間以上も歩いて通学していた。
「長時間通学で根性が身についたと思う」(嶋田かつ枝さん)
望月氏は平成26年5月、富士川町で講演し、同級生と旧交を温めた。
翌年は同級生ら14人が三陸を訪れ、望月氏の案内で被災地を見学した。
参加した山本二郎さんは「津波被害の大きさに本当に驚いた」と話す。
一緒に通学した深沢永吉さんは「これからも頑張って。たまには山梨に来てよ」と目を細めた。
三陸も山梨も地域再生が大きな課題。
望月氏は「若い人を呼び込み、地域おこしで活躍してもらうことが大事だ」と“二つの故郷”に思いをはせた。

資料;産経新聞より。
望月社長これからもお元気で頑張ってください。

 

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盲学校卒業式

 県立盲学校卒業式、今年も匿名女性からオルゴール

甲府市下飯田2丁目の県立盲学校で10日、卒業式が行われ、卒業生・修了生8人のうち内部進学予定の2人を除く6人にオルゴールが贈呈された。
オルゴールは毎年、匿名の女性から送られてくるもので、今年で52年目だ。
今年のオルゴールの音色は谷村新司の「いい日旅立ち」と長渕剛の「乾杯」の2種類。
中には赤い折り鶴と「あなたのうえに神さまのお守りを祈ります」という手書きのメッセージが入っていた。
1964年にテレビで同校の生徒がクラリネットを紛失したことを知ったという匿名の女性がクラリネットをプレゼントして以来、卒業式の度にオルゴールが送られてくるようになった。
送り主は「一女性」と書かれていること以外、分かっていないという。
資料;朝日新聞
今年で52年目、心温まる話なので皆さんに紹介しよう。

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猿橋遊覧船

猿橋遊覧船「笑点でPR」…小遊三さん意向。

大月市にある国の名勝・猿橋の下を流れる桂川に遊覧船(ラフティングボート)を浮かべ、川面近くから猿橋を眺める計画が進む中、同市出身の落語家・三遊亭小遊三さんが27日に体験乗船を希望し、出演する日本テレビの演芸番組「笑点」で宣伝する考えを2日、県立都留高校時代の同級生である同市の石井由己雄市長に電話で伝えた。
小遊三さんは27日午前に開催される母校・市立富浜中学校の閉校式に出席し、同日午後に「天気が良ければ猿橋の船にぜひ乗りたい。(テレビ番組の)『笑点』でもPRしたい」と語ったという。
遊覧船計画は、絶壁に架かる猿橋の魅力を堪能し、桂川の清流も間近に感じてもらおうと市の地域おこし協力隊員が発案。
市の協力を得て、4月からの運航を目指して現在検証を進めている。

桂川に架かる猿橋。       日立の創業者 小平浪平と関係が深かった桂川・猿橋。
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震災から五年・・・。
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甲州人国記(14)

甲州人国記  “財界甲州党の系譜” ⑦-1   昭和58年
                               
所得倍増論の池田勇人元首相とつながり、「高度成長の演出者」「裏の財界総理」といわれた石和町出身のコバチューこと小林中・元日本開発銀行総裁が一昨年死んだあと、甲州財界人の集まりである「山申(さんしん)会」の中心は、水上達三という格好になった。
「オレたちゃあ山ざるだ」の甲州人一流の自虐(ぎゃく)が命名の由来。
いま二十二人の会員の中には、土佐育ちで甲州へ婿入りした三菱電機会長の進藤貞和(72)や、芦屋育ちで甲州とは縁のない東宝社長松岡功(48)もいる。
松岡は、宝塚の創始者でアイデアの財界人だった韮崎市出身の故小林一三の孫だ。
メンバーの一人である阪急百貨店会長野田孝(81)も同郷の一三に目をかけられて育った。
戦前、小林中が山申会を作ったころの仲間、元海外電力調査会長・進藤武佐衛門(故人)の実弟が小淵沢町出身の関東電気保安協会理事長進藤一郎(72)、元日本郵船社長浅尾新甫(故人)の息子がニューヨーク総領事の浅尾新一郎(55)である。
水上らは月一回、築地の料亭「米田中」に集まり飯を食う。
世話人役が旧制甲府中同窓で水上と親しい日本信号会社元社長(現相談役)秋山つとむ(79)。
例会は四百回近く続いているというから、息は長い。
この山申会員に、東武鉄道のオーナー社長二代目根津嘉一郎(69)や、松屋百貨店社長をした三代目古屋徳兵衛(72)がいる。(敬称略)資料;朝日新聞 甲州人国記 “財界甲州党の系譜” ⑦ 昭和58年より

山梨郡正徳寺村→平等村(ひらしな)生れ。(現山梨市正徳寺、中心部の西方、笛吹川の右岸にあたる)
根津

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NMGゴルフ

第332回NMGゴルフコンペを行いました。
(那珂カントリ倶楽部・日立製作所水戸工場・ゴルフ)

早いもので今回で332回目の大会です。
期日 : 3月8日(火)
場所 :  那珂カントリ倶楽部
コース: 中⇒西
天候:  晴れ
<成績>
優勝     村上 博靱 
2位     船田 健夫
3位     唐沢 洋一 
4位     大塚 静男 
5位     市野沢 伊司 
6位     渡辺 敬一郎
7位     大狭 明
8位     米山 三美
9位     根本 文雄  
   

ドラコン   唐沢 洋一×3     村上 博靱
ニアピン   根本 文雄  大峡 明
  唐沢 洋一  
  
朝からぽかぽか陽気になり、グリーン上の梅も今が満開の見ごろとなりました。
さて、今回若いメンバーが入会ししばらくぶりに明るさが戻ってきました。
その名は根本文雄さん。
長年「車両システム設計」の仕事に従事された元気な方でした。
初回なので最下位でしたが次回からは正式ハンディキャップが付くので直ぐに頭角を現すことでしょう。

また、今日は久しぶりに唐沢洋一さんとラウンドしました。
ドライバーの飛びとパットが上手でした。
明大野球部をでて日立工場野球部で活躍したスポーツマン。
ドライバーが飛ぶのは野球のせいでしょうか。
伊那の出身なので甲府工業のこと良く知っていて話題がつきませんでした。
一緒にプレーして優勝出来たこと本当にうれしく思いました。

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工友会ゴルフ

第77回工友会ゴルフコンペのご案内 (同窓会本部行事 )
                甲府工業高等学校同窓会
                会長    中村 邦弘
             
時下、会員各位にはますますご健勝のこととお喜びをむ申しあげます。
さて、恒例の標記親睦ゴルフコンペを次のとおり開催いたしますので、会員 多数お誘いあわせの上、ご参加下さいますようご案内申しあげます。
なお、表彰式は4月23日(土)の同窓会総会後の懇親会会場で行います。
         記
日時     平成28年4月14日(水)
会場      レイクウッドゴルフクラブ サンパーク明野コース
       北杜市明野町小笠原大内窪3394-1
       TEL 0551-25-2500
参加費    1,000円
プレー費   8,500円
競技方法   新ペリア方式
締切     3月31日 (木)
 参加希望者は右下のメールフォームからご連絡下さい。
           
 

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国勢調査速報

総務省が26日、国勢調査速報値を公表、山梨県は。

2015年10月1日時点の総人口は1億2711万47人。
前回の2010年の調査から約94万7000人減り、減少率は0.7パーセント。
1920年の調査開始以来、初の人口減に。
山梨県は83万5165人で前回に比べ2万7910人減少。
全国41番目。
甲府市は19万3123人で、全国の県庁所在地で最少に。
また、早川町は1070人で、全国の町で最少が続く。
我が愛する甲府!このままでは県庁所在地の威厳がなくなってしまいそう。
   

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山梨近代人物館

山梨の近代「偉人」関心高まる 近代人物館で紹介、県民性再発見も。
◆韮崎市出身の大村智さんがノーベル医学・生理学賞に決まり、同氏の“故郷への思い”が広く伝わったこともあり、地元出身の「偉人」に関心が高まっている。
県庁舎別館に今春できた「山梨近代人物館」では、第2回展示「世界をみつめた山梨の人々」が始まった。
時代に名を成した人々の発想や業績を知り、山梨の風土や県民性を再発見できる知的な楽しさにあふれている。
山梨近代人物館は、県内ゆかりの偉人50人を、半年おきに紹介していく。
現在は、元首相で少年期を現富士川町で過ごした石橋湛山や「赤毛のアン」の作者・村岡花子(甲府市)などに加え、知る人ぞ知る偉人も紹介している。

◆「郵便の父」
例えば、明治の内務官僚で郵便制度構築や富岡製糸場(群馬県)開設に関わった甲府市出身の杉浦譲
企画を担当する県立博物館の小畑茂雄学芸員は「前島密が“郵便の父”とされるが、実際に駅逓権正(えきていごんのかみ)として郵便局や切手を制度化したのは杉浦。
もっと知られていい」と話す。
同館は「甲州財閥と近代日本を築いた甲州人」を展示したが、阪急の小林一三(韮崎市)や東武の根津嘉一郎(山梨市)など鉄道の創設者を多く輩出している。
小畑学芸員は「山梨は山岳を背後に自然環境が厳しい。『機を見るに
敏』とされる甲州人が、『近代日本に何が必要か』を考えた結果だろう」と分析する。

◆大村氏に至る志
県内にはこうした施設がいくつかある。4年前開館したJR韮崎駅前の「市ふるさと偉人資料館」では、小林を常設展示する。
大村さんも帰省時にふらりと立ち寄るという。
同館の望月祐子さんは「一昨年、韮崎で育った作家の山本周五郎の特別展示を『ファンなんだ』と熱心に見ておられた」と振り返る。
笛吹市春日居町寺本の「春日居郷土館」では、旺文社を創設した赤尾好夫や戦後復興に貢献した小林中(いずれも石和町)ら5人を「笛吹市の歴史と偉人」として順次紹介する。
第1段が早川徳次(一宮町)。
早川は日本初の地下鉄を開業させたが、晩年は中央財界人を招いて地域を担う人材を育てようと、一宮に「青年道場」を構想した。
同市文化財課の内田裕一さんは「地下鉄工事の資金難など苦労も多かったが、あきらめない人。故郷への恩返しも忘れない人」と説明する。
ジャンルも時代も異なるが、大村さんの実績や言動と共通する「志」がみえてくる。
資料;産経新聞より。

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山梨が誇る水

山梨が誇る水 守り育てる 「育水」県が推進。

山梨県が誇る水を地域活性化の起爆剤とするため、水に特化したブランド戦略作りを進める県は、「育水(いくすい)」という新たなキーワードで情報発信していくことを決めた。
後藤知事は開会中の2月定例県議会で戦略について答弁し、「水の循環を守り育てる『育水』を基本に、本県の良質な水のイメージを国内外へ浸透させたい」と意気込みを語った。
県によると、山梨県はミネラルウォーターの生産量が日本一で、名水百選にも県内から複数が選ばれるなど、水は重要な地域資源の一つ。
水のおいしさやきれいさの「根拠」として、飲み水としての安全性を担保することや、きれいな水環境を保全するための活動を行っていることなどを前面に打ち出すことで「良質な水」というブランドの確立につながるとの意見が多く出された。
こうした意見を踏まえ、県はブランド力を支える基盤として、「水源林、水環境、地下水資源、水質の保全」「食品としての水の安全・安心の確保」「美しい水景観の保全・整備」などを設定。
これらの基盤をアピールするブランド戦略のキーワードとして、「育水」という言葉を用いることを決めた。
「健全な『水』の循環を守り『育』てる」という意味合いだという。
後藤知事は「山梨の水ブランド確立に向け、全国キャンペーンや多言語の冊子などで海外へも情報発信し、認知度の向上を図りたい」と述べた。資料;読売新聞より

美しい水景観の保全・整備。
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勝田もみじ会

第86回 勝田もみじ会ゴルフコンペの成績
(日立製作所 勝田工場ゴルフOB会)

期日    3月3日(木)晴れ
場所     日立高鈴ゴルフ倶楽部
スタート  9時00分

<成績>
優勝       村上博靱    
2位     高崎修一 
3位     関 正俊
4位     山﨑豊次
5位     大島 清

ブービー    山﨑豊次
ベスグロ    村上博靱
ニヤピン      山﨑豊次  村上博靱
副賞        高崎修一   関 正俊 村上博靱
 
朝から快晴のゴルフ日和となりました。
ちょっと寒いかなと感じたが時間にたつにつれて気温も上がり汗ばむほどでした。
今回、二人から急きょ欠席の連絡がありました。
一人は腰の痛みで参加できなくなりました。
急に痛みだし今日は病院に行くとのことです。
もう一人は休みが取れなくなったことです。
私たちの年齢になると明日のことはわかりません。
急にいろんなことが起きるのも仕方ありませんね。
池に囲まれた18番ホール。 
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<なお、都合により次回は4月 18日(月)に変更しました。

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大村主計さん。  

日本人なら一度は歌ったことのある「花かげ」。作詞は牧丘町出身の大村主計さん。

十五夜 お月さま ひとりぼち 桜吹雪の花かげに
花よめすがたの おねえさま くるまにゆられて ゆきました

十五夜 お月さま 見てたでしょう 桜吹雪の花かげに
 花よめすがたの ねえさまと お別れおしんで 泣きました

十五夜 お月さま ひとりぼち 桜吹雪の花かげに
 遠いお里の おねえさま わたしはひとりに なりました

山梨市牧丘町出身の大村主計(かずえ)(1904~80年)が作詞した童謡「花かげ」に歌われている桜並木を復活させようと、モデルの桜があったとされる向嶽寺(甲州市塩山上於曽)の近くで、苗木の植樹祭が開かれた。
寺の近くで工務店を経営する石川重人さん(59)ら、地元住民らが企画し、昨秋以降、植樹する遊歩道の整備などを進めてきた。
住民たちは「桜が成長し、花かげで歌われた『桜吹雪』が早く見たい」と話している。

主計は、1904年、現在の山梨市牧丘町千野々宮で生まれた。
「十五夜お月さま~」で始まる童謡「花かげ」は、主計が涙ながら姉の嫁入り姿を見送った、切ない思い出を主計が二十歳の時につづった曲。
人力車に乗った姉を見送った際、舞った桜吹雪は同寺付近の桜並木の花びらだとされる。

「花かげ」は現在でも峡東地域で親しまれ、山梨市では1日3回、時刻を告げるチャイムを放送する際、午後6時の時に「花かげ」のメロディーを流している。
また、同市立牧丘第二小では廊下に歌詞を大きく貼り出し、多くの児童が歌えるといい、同寺に近い甲州市立塩山北小では地域学習の題材に使い、地元のお年寄りから「花かげ」や当時の地域の様子を学んでいるという。

主計の長男の大村淳三さん(86)も『花かげ』が長く地元で愛されてうれしい。父も喜んでいると思う」と話した。資料;読売新聞より
 桜の向嶽寺(甲州市塩山上於曽)。歌碑も建立されています。ぜひ皆さんも一度訪れて見てください。
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甲州人国記(13)

甲州人国記  ”財界実力者は健在”  ⑥-2   昭和58年 

住友金属工業会長の日向方斉(76)には、「甘い純情と厳しいリアリズムの同居する怪物」という評がある。「切れ者」「鋭い」の世評にも事かかない。
敗戦の混乱期から住友金属を立て直して銑鋼一貫体制を軌道に乗せ、関西経済連合会会長として、財界一方の実力者である日向は、歌詠みだ。
[学び舎の児らも別れて行く日ぬいづこの鉱山(やま)に行くらむ児らは] 戦前、北海道の住友鉱閉山の際、日向が詠んだこの歌を、俳人宮柊二は、内なる心が、こもり響いている、と評した。
日向は格別、作歌の精進をしたわけではない。「歌心おのずから発し、奔(ほとばし)るのを書き記しただけ」と照れた。
三十三年、高炉建設のため世界銀行から借款を求める旅を、「日向はウオール街ビルの谷間をひたぶるに金を求めて往来ひと歳(とせ)」と詠んだ。
情景が目に浮かぶが、経営者としては「攻めの方斉」である。とくに四十年には、通産省の粗鋼減産案に反対して譲らず、他の鉄鋼大手とも対決して「ケンカ方斉」の名を高めた。
「反対なら原料炭をちょん切るというから、ちょんぎるならやってみろ、と通産次官にいった。官僚が民間企業に介入するなということですよ」
鉄鋼の対中国輸出を真っ先に成し遂げ、「周恩来は偉い政治家だった」という親中派ながら、根っからの自由経済主義者。
その日向はいま、「国あっての企業だ」と防衛力の強化を説き続ける。先年、「徴兵制発言」もあっただけに、側近は気をもむことしきり。
そして、「政治は私の思う方向に近づいていますよ」。少年時代、海軍工廠に勤めて海軍軍人にあこがれ、苦学した。故郷は西八代郡下部町の山村。簡素な家に住み、夜なきソバを汁まですすり込む庶民性と、「国防あっての国」への思い入れが、この明治人同居している。(敬称略)資料;朝日新聞
甲州人国記”財界実力者は健在”⑥昭和58年より
西八代郡下部町出身の日向方斉。      
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