FC2ブログ

ちょっくらよっていけし 

https://mh182130.jp 

ヒマワリ60万本

ヒマワリ60万本 日差しを浴びて

北杜市明野地区で開催されている「北杜市明野サンフラワーフェス2016」のヒマワリが見頃を迎え、連日、県内外の観光客でにぎわっている。
ヒマワリは、三つの会場計約6万平方メートルの畑に約60万本植えられており、区画によって順次満開を迎えている。市観光協会によると、今年は晴れの日が多く、平年よりも数日早く開花しているという。
横浜市の会社員、郷大助さん(33)は家族4人で訪れ、「夏らしい景色に満足です」と笑顔だった。
8月21日まで。資料;読売新聞
後ろは八ヶ岳
7303  

PageTop

甲州寄席

甲州寄席で山梨元気に

東京から甲州市に移住してきた太神楽曲芸師の丸一仙三(せんざ)さん(40)と仙花(せんか)さん(41)夫婦が主催する「甲州寄席」が31日午後2時開演、甲州市塩山上於曽の「およっちょいぷらざ七里」で開催される。仙三さんは「山梨を元気にしたい」と意気込んでいる。
仙三さんは甲府市出身で、東京の大学を卒業後、国立劇場で太神楽を学び、太神楽曲芸師の鏡味仙三郎さんに師事した。2010年、同じ弟子だった仙花さんと結婚。夫婦太神楽「かがみもち」を結成した。
以前は東京都足立区のマンションに住んでいたが、仙花さんが妊娠したことを機に豊かな自然の中で子育てをしようと、移住を決意。東京での仕事もあることから、14年3月、県東部に位置し、JRの駅がある甲州市に移り住んだ。
「自宅から富士山も見える」と夫婦そろって満足。野菜や果物も近所の人から分けてもらえ、人とのつながりにも感激している。今では県内での仕事も増え、夏祭りや結婚式などで活躍。外国人向けの演目も考案し、仙三さんが武田信玄にふんして、口にくわえた棒にグラスを乗せてワインを注ぐ芸も好評だ。
仙三さんは太神楽以外でも山梨の活性化に精を出す。富士山の清掃に取り組んだり、「やまなし大使」に就任したりしており、9月には後藤知事と一緒に都内で県産ブドウのPRを行うという。
甲州寄席では、真打ちに昇進したばかりの月の家小円鏡さんと林家たけ平さんも落語を披露する。資料;読売新聞 

PageTop

神明の線香花火

線香花火 半世紀ぶり製造…市川三郷

県内有数の花火大会「神明の花火大会」が8月7日に開催される市川三郷町で、半世紀ぶりに地元産の線香花火が復活した。安い中国産に押されて製造をやめていたが、花火大会を盛り上げようと、地元の花火業者や販売、卸会社の4社でつくる「神明の花火倶楽部」が企画した。火薬を包む紙は町の伝統工芸の手すき和紙を使っており、同倶楽部では「市川三郷の文化を多くの人に楽しんでほしい」とPRしている。
同町の花火は、戦国時代に武田氏の軍事用ののろしの打ち上げに由来すると伝わる。平安時代には紙すきの技術が導入され、紙作りが盛んだったことから、火薬の取り扱いと和紙作りの二つの技術が合わさり、江戸時代には観賞用の花火作りが産業になったという。
「線香花火は花火と和紙という町の文化が詰まっている。PRにはちょうどいい」。同倶楽部代表で、町内で打ち上げ花火を製造する「マルゴー」の斉木智徳社長(62)は「神明の花火大会」の一層の盛り上げのため、線香花火に目をつけた理由をこう説明する。
和紙は、町内にある歌舞伎文化公園に咲くボタンの花びらを使って薄ピンク色に染めたものを使い、線香花火は全て手作り。斉木社長の叔母で、20歳代の頃に同社で線香花火を作っていたという町内の主婦、一瀬俊子さん(74)が手掛けた。
一瀬さんはかつての製造過程を思い出しながら、昨春、線香花火を作ってみたが、火を付けてみるとすぐに火の玉が落ちてしまった。そのため、花火業者に火薬の調合の調整を依頼する一方、一瀬さんは包む火薬の量や紙への置き方、紙をよる力加減などを試行錯誤した。そうして今年3月、ようやく満足できるものが完成し、線香花火には「市川神明牡丹ぼたん」と名付けた。
一瀬さんは線香花火の魅力を「まるで人生のよう」と語る。点火し最初にできた小さな火の玉は生命の誕生を表す。その後、勢いよく火花を散らす様子は青年期。その火花も落ち着きを見せ、円熟の時期に入り、やがて穏やかな光を放ちながら命を閉じる。「派手さはないけど、線香花火に火を付けると、みんな近づいてじっと見つめます。人と人との距離が縮まるのも線香花火の持つ良さ。ぜひ手にとって、夏のひとときを楽しんでほしい」と話している。
資料;読売新聞
市川三郷町の歌舞伎文化公園。ここに立つと北岳、八ヶ岳、が良くみえる。
7280

PageTop

女性社長

昨夜、 27日午後11時47分ごろ、茨城県北部を震源とする地震があった。日立市や常陸太田市で震度5弱、水戸市、ひたちなか市、那珂市、東海村、震度4。この地域には84名の同窓生が住んでいます。特に被害はなかったようです。


山梨県内10社に1社「女性社長」 5年間で1.5倍

県内企業約1万9000社のうち、10社に1社に当たる1941社の社長が女性であることが、東京商工リサーチ甲府支店が昨年データで行った調査で分かった。女性社長の数は5年間で約1.5倍に達しており、安倍政権による「女性の活躍推進」などが追い風になっているようだ。業種別では、少額資本でも起業しやすい「宿泊」「飲食」「介護」「美容」などサービス業が全体の5割弱を占めた。市・郡別では企業数が多い甲府市が718人でトップとなった。
調査は同支店の経営者情報で毎年実施。女性社長の人数は調査を始めた平成23年の1248人から毎年増え続け、27年は前年より15.2%増と、5年間で最も高い伸びとなった。
女性社長の数を企業の数で割った「女性社長率」の県内平均は10.4%。全国平均の11.8%を下回った。甲府市(12.5%)など国中地方は比較的高いが、富士吉田市(7.1%)など郡内地方では低い傾向がみられた。
同支店は、同居家族が多い地域ほど女性社長が少ないと分析。「女性中心で行ってきた家事や育児、介護などを、家族や地域がどう支援するかが課題」としている。
社長が女性の企業の売上高上位5社は、(1)アルソア本社(98億円、化粧品小売り)(2)マコト医科精機(69億円、医療用機器卸売り)(3)パルシステム山梨(61億円、生協)(4)桔梗屋(58億円、菓子製造)(5)豊前医化(56億円、医療用機器卸売り)-となった。
また、女性社長の出身大学別の数は、日大が5人でトップ。以下、青山学院大(4人)、日本女子大(3人)と続いた。女性社長の名前で最も多かったのは「和子」(24人)。以下、順子(21人)、幸子(17人)、洋子(同)、久子(15人)、「ひとみ」(14人)、「裕子」(同)の順だった。
資料;産経新聞


我が家のノリウツギ(ライムライト)(2016.7.27写す)。
7270

PageTop

甲州人国記(33)

 甲州人国記  “「病む」を見つめて” ⑮-2   昭和58年
                               
 たった一つの命は自分で守るしかねえ。貝原益軒が『養生訓』で、毎日の生活で健康に悪かったと思うことはよして、良かったと思うことだけをやりなさいといっているが、よしあしは十人十色。寝起きが気分爽快だったかどうかで判断すりゃいいんだ」。
 元国際外科学会会長の中山恒明(72)は、ベランメエ口調で意気軒高。東京・銀座で中山ガン研究所を開く。国際外科学会から「世紀の外科医賞」を受けたがん手術の開拓者だが、いま手術はやらない。「医療機器の進歩で、教科書通りにやれば下手クソがやっても安全な時代になったよ」千葉大学医学部教授時代から、「天衣無縫(てんいむほう)の銀ラッパ」のあだ名。「戦前、アルコール性肝炎なんてのはなかった。ありゃあっ安酒に入ってるきょう雑物でなる薬餌(やくじ)性肝炎だよ、君」
「新宿の浮浪者も栄養過剰の糖尿病というくらいで、栄養とり過ぎで血管ボロボロというのが、うじゃうじゃしている」。「オレは四十歳の体型だ」と誇った。白州町が故郷。
「国民所得二位なんていっても、日本が豊かになったとは思わない。欧米に比べ蓄積がない」と国民所得分析の権威、一橋大学名誉教授山田雄三(80)。
 社会保障研究所長や厚生省の各審議会会長として、福祉施策の大綱をまとめてきた。「軍拡が声高になり、武器産業が活気づく時代の弱者切り捨て論は、危険ですね。いまこそ福祉国家が必要なんだ」。倒産した甲府の漆器問屋で育つ。(敬称略)資料;朝日新聞          
 
中山恒明  山田雄三

PageTop

日本一の高原鉄道

小海線の歴史をたどる。

JR中央線の小淵沢駅から長野県の小諸駅までを結ぶ小海線。約80キロのこの鉄道路線には「八ヶ岳高原線」の愛称もあります。
日本一高い所を走る鉄道として有名ですが、駅の標高は全国1位から9位までを占めています。その中には山梨県側の清里、甲斐大泉、甲斐小泉の各駅も含まれ、ほとんどが1000メートルを超えています。
小海線は100年前に開業した佐久鉄道から始まり、佐久鉄道の小諸から小海までの区間が国鉄小海北線となりました。それが小淵沢駅から北へと伸びていた小海南線とつながって、全線開通したのは1935年11月29日のことでした。今年は81周年に当たります。
小海線の歴史は「小海線をゆく 日本一の高原鉄道の80年」で写真からたどることが出来ます。高原野菜を運んだ「たかね号」や観光列車「高原のポニー号」などのC56形蒸気機関車や、ガソリンカー、ディーゼルカーなど小海線で活躍した多くの列車が紹介されています。
日本で最初に走ったハイブリッドのディーゼル車も小海線です。(日立製作所製)
沿線にある松原湖も昔キャンプした楽しい思い出があります。
それよりも小学校1,2年生当時の旧友が住んでるので懐かしいです。 資料;読売新聞
昔ながらの小淵沢駅
7242

PageTop

山梨学院優勝

夏の高校野球 山梨学院が優勝!。

昨日、東海大甲府対山梨学院の決勝戦が行われ山梨学院が12対5で優勝しました。おめでとうございます。
私は3年前、秋の関東大会がひたちなか市民球場で行われたときのことを思い出しました。

『山梨学院対健大高崎の試合です。 この試合に勝った方が来春のセンバツは間違いないことから、初回から熱戦を繰り広げ両校とも応援に熱がはいっていました。
先取点は4回に山梨学院がヒットでようやくものにしたが、6回健大高崎は2ラン ホームランで逆点、さらに波にのりホームスーチルで3点目を取った。7回山梨学院はヒットなどで2塁、1塁の好機をつかんだが、健大高崎キャッチャーの 2塁へのけん制球でタッチアウト。また、1塁はピッチャーのけん制でアウトになりもうだめかと誰しもがあきらめかけました。しかし、女神は山梨学院にいました。8回、山梨学院はヒットなどで同点にして更に1点を加え逆転した。そのあと、健大高崎を3者連続アウトにして4アルファ3でベスト4の勝利をつかんだ。その瞬間は喜びあい甲府からの応援団も歓喜につつまれた。久々に味わった高校野球、熱戦をまじかに見たいい試合だった。
帰り支度をしていると後ろからスーツ姿の女性が声をかけてきた。話を聞くと、「山梨学院大学の学長さんが、図書券カードを私に渡してくれ」との ことだった。応援したお礼だったようだ。そう言えば私は、試合中ずーと大きな声を張り上げて、山梨学院を応援していたのを 学長さんは5、6メートル後ろで見ていたのを後から知った。
突然のことなので私もビックりした。私はお礼を言う為、スタンドを駆け上がり学長さんの所に行き、「先程はどうも有難うございました。」と声をかけると、名刺をくれた。私も「甲府工業茨城同窓会・・・」の名刺を渡し「センバツおめでとうございます」と言うと、学長さんも満面の笑みを浮かべて「応援有難う」と云ってくれた。
山梨ではライバル校であっても、茨城に来れば郷土山梨の代表を応援するのはやぶさかではなかった。』 

PageTop

細田家住宅主屋

細田家住宅や御岳公会堂…登録有形文化財に山梨から3件答申。

国の文化審議会(馬渕明子会長)は新たな登録有形文化財として、山梨県内では、いずれも甲府市御岳町の「細田家住宅主屋(しゅおく)」「御岳公会堂」(旧金桜神社参籠所(さんろうょ)と「相原家住宅主屋」の3件が答申された。
「細田家住宅主屋」は大正10年、登山客などの増加を受けて、旅館機能を併せ持って建てられた。
金桜神社の門前鳥居の脇に位置し、門前町の景観を形成する建物だ。「国土の歴史的景観に寄与している」と評価された。
入母屋造桟瓦葺(いりもやづくりさんかわらぶき)の2階建てで、1階は住居部分。2階には中廊下を通して宿泊者用の4室がある。
「御岳公会堂」は、金桜神社の境内にあった「おこもり」用の参籠所を移築したもので、地区の公会堂として再利用されている。「造形の模範となっている」と評価された。
昭和10年ごろ建築され、同54年に改修された。木造平屋で現在は鉄板葺だが、移築前は檜(ひのき)皮葺だったようだ。
伝統建築の梁の組み方である「小屋組」などの旧状をよく残している。内部に柱を建てずに大空間を確保し、参籠所の特色を今に伝えている。
相原家住宅主屋は、金桜神社門前の住居兼宿泊施設で明治後期の建築。戦後改修した。「造形の模範になっている」と評価された。
木造2階建てで1階が住居、2階は客間を兼ねた座敷となっている。1階には広い土間、2階には50畳敷きの大広間が設けられた。地域に残る講中宿として希少な存在だという。資料;産経新聞
甲府市御岳町;金桜神社7241

PageTop

全国高校演劇大会

山梨県立白根高校 全国高校演劇大会に出場。 

県立白根高校(南アルプス市上今諏訪)の演劇部が、8月に広島市で開かれる全国高校演劇大会に1人劇「双眼鏡」で出場する。今年1月の関東大会で優秀賞を受け、全国約2千校から選ばれた12校による全国への切符をつかんだ。昨夏、部員が1人だけになり、引退した3年生が裏方で支えた。21日に壮行公演(朝日新聞甲府総局後援)もあった。
「このせりふ、つぶやいた方がいい? 最後を伸ばしたほうがいい?」。主演の杉山奈由香さん(2年)が部員に聞いた。「つぶやくほうがいいと思います」。1年生部員が答えた。
関東大会までは部員は杉山さん1人だけ。引退後の3年生が照明や音響を支えた。今年2月に同級生2人、4月以降に1年生5人が入部し、全国大会は8人で挑戦する。照明の当て方やタイミングなど、毎日午後4時から7時半まで、呼吸を合わせる作業が続く。頑張れ白根高校! 資料;朝日新聞

7230

PageTop

甲州人国記(32)

甲州人国記  “「病む」を見つめて” ⑮-1   昭和58年 
                              
十年前、舞台の奈落への転落が参議議員八代英太(45)の人生を変えた。背骨の中の神経の束が切れた。再びつなぐことは出来ない。立てず、歩けず、排せつも思うままにならない。車イス人生のスタートである。バクチと女好きだったタレント八代が、いま、いつも胸の中でかみしめるのは、「苦しみの中から喜びが生まれる」という言葉だ。
「死んだ方が楽だ」という奈落の底から見た人生は、まるっきり違っていた。道路、乗り物にせよ、公共しせつにせよ、この世は大人の平均人間を標準に作られている。しかし、障害者や大人の自立を助けない社会が、果たして正常なのか。弱者切り捨ては、社会的マイナスではないのか。いや、全ての人間が、障害者、弱者予備軍ではないのか。「やれば出来るんです。国会議事堂も車イスで入れるようになったが、最初数億円かかるといわれたのに五千四百万円ですんだんです。
その八代に、参院全国区の新選挙制度は、弱者、少数者の声を締め出す「ファシズムへの突破口」と映る。「優秀人種」を呼号し、「壮健な兵士」づくりを国是としたのが、ナチズムであり日本軍部だった。「車イスから挑戦します」。八代町の農家の生まれで、八人兄弟の六番目。「転んでもタダで起きるなと育てられました」
「戦時下では、医学部が何をいおうと、弱者、病人は見殺しにされていった。弱者の側から見れば、医療と社会のひずみはスケスケです」。こんな立場から、医師、医事評論家の川上武(57)は、大作『現代日本病人史―病人処遇の変遷』をまとめた。自分で診察し治療する医師として、「よらしむべし知らしむべからずの医療にするな」が一貫した発言。若いころ大病院で、腎炎を結核と誤診された。「医療をきちんとする基準は、管理でなく技術なんです」
「こんな仕事を続けなければボクも高額所得者になったな、と医者の女房とよく笑いますよ」「所得と、わが子をどのように医者にするかで躍起のゼニゲバ医師たちの腐敗が、医療差別の裏にあるんです」。塩山市生まれ。
(敬称略)資料;朝日新聞

 八代  
   川上

PageTop

茨城同窓会ゴルフ

第110回 甲府工業茨城同窓会ゴルフコンペ(7月分)の結果 
1.期日    平成28年7月20日(水) 晴れ
2.場所   勝田ゴルフ倶楽部
3.スタート  8:30
<成績は以下のとおり>
優勝      山村 正英
準優勝     早川 博      
3位      木本 貴一
4位      田原 和雄 
5位     木本 土八 
6位       今井 勝友
7位     村上 博靱
        
ドラコン   木本 貴一×3  今井 勝友 
ニアピン   山村 正英      木本 貴一       今井 勝友   田原 和雄
副賞      山村 正英       田原 和雄       木本 土八     今井 勝友     村上 博靱

朝5時頃まで降っていた雨も止んで、今日は涼しくなるかと思ったが、時間がたつにつれ気温が上がってきた。特に午後からはさらに高くなりそうだったが、勝田ゴルフ特有の涼しい風が吹いて少しは楽になりました。さて、今日の優勝は長老の山村さんでした。寄せとパターは上手いなーといつも思っています。また仲間たちが暑くてダラダラやっているのに、今日も山村さんは一打一打を真剣に打っていました。さすが、「大洗ゴルフ倶楽部」のメンバーさんらしくゴルフマナーも洗練され、大いに参考になります。
茨城同窓会にもこのような大先輩がいて、皆さんを引っ張って下さることに感謝しています。
ちなみに山村さんは M26卒です。ゴルフはやる気さえあれば、いつまでも出来ることを証明してくれました。
 なお、次回は8月22日(月)8;28スタート、日立高鈴ゴルフ倶楽部です。日立地区の皆さん、近いです。ぜひ参加してください。よろしくお願い致します。

 

PageTop

山梨峡北交通

熊本へ支援バス 使命感で山梨峡北交通。

発生から3か月が経過した熊本地震の被災地に向け、北杜市須玉町のバス会社「山梨峡北交通」が16~18日、ボランティアを乗せた復興支援のバスを走らせた。山梨から熊本までは直線距離で約790キロ。片道丸1日かかるが、これまで2回運行し、延べ約40人のボランティアが被災農家の手伝いなどを行った。野口正人社長(50)は、「大きな災害では広域での共助が必要。遠くても被災地のために動かなければ」と使命感を燃やす。
野口社長は東日本大震災の時に地震直後からボランティアバスを運行。延べ5000人以上が岩手県陸前高田市や宮城県気仙沼市などで復興支援に当たった。
2014年6月にはNPOを一般社団法人「REvive Japan」に改編し、野口社長が代表理事となって災害ボランティアを継続。しかし、参加者が集まらずに赤字が続き、今年3月、141回目で東日本大震災での定期的なボランティアバスの運行は休止に追い込まれた。

直後の4月、熊本地震が発生。野口社長はすぐに熊本県内の避難所などを回った。「車中泊を続ける人も多く、みな疲れた様子だった。困っている人がいる以上、金がないなどと言っていられない」と支援を決意。ただ、熊本は東北よりも遠く、東日本大震災の時のように参加者がバスで車中泊すると疲労がたまり、実際の作業に支障が出る懸念があった。ところが、インターネットでボランティアバスのことを知った「名門大洋フェリー」(大阪市)が価格面での協力を名乗り出てくれた。「遠い山梨から来る参加者に敬意を表したい。少しでも肉体的な負担が減れば」と同社の担当者。これでボランティアバスは、大阪から北九州までフェリーで行けることになった。
8月以降もボランティアバスの運行は続く。また、東日本大震災の被災地へも不定期で運行し、7月末には気仙沼行きを予定している。資料;読売新聞
北杜市長坂町から眺めた富士山。
7197

PageTop

新チーム始動です

野球部への応援有難うございました。

敗退した後の記事を送る瞬間が一番つらいです。
7/19から新チーム始動です。今大会で先発した1、2年生が5名います。
8月は、甲府地区シード決定戦、工業高校大会。9月からは甲子園に繋がる秋季大会が始まります。下を向いてはいられないことは、野球部が一番理解していると思います。
同窓会もしっかり支えます。
今後とも、応援よろしくお願いします。 同窓会事務局 数野 均

PageTop

甲府の早慶戦

甲府工業、粘り及ばず 甲府商業に屈す。

全国高校野球選手権山梨大会は16日、甲府工業ー甲府商業戦を甲府市の山日YBS球場で観戦した。 
甲工 000010012=4
甲商 11000033 X=8
(甲工)清水寛、三浦、伊藤、清水寛−清水、塚越
(甲商)山田、輿石−金井
▽三塁打 (甲商)三井、村松
▽二塁打 (甲工)坂本、早川、清水寛
     (甲商)小池、三井
甲商は1点差に迫られた七回、1死一、二塁から代わったピッチャから三井、村松の連続三塁打で3点を奪った。八回にも三井の二塁打などで3点を加えた。
八回裏、甲工のセンターを守っていた背番号1清水寛に指示が飛ぶ。甲商に加点され、あと1点でコールド負けというところまで追い込まれていた。2死ながら一、三塁に走者を背負って清水寛が再登板。清水はこの日先発し、途中からセンターへ。決め球のスライダーが決まり三振に仕留めピンチを乗り越えた。
続く九回表、2死一塁で清水寛の二塁打などで2点を返したが及ばなかった。
終盤の粘り強さは伝統校にふさわしいものだった。結局「甲府の早慶戦」は、甲工が甲商に4-8で敗た。
振り返るとここぞという時にチグハクな攻めが目立った。3塁への走塁ミスでアウト。満塁で1打逆転という時に2塁がけん制球でアウト。完全に流れを止められた痛いプレーだった。
私は今まで何年も応援してきたが、これほど悔しい応援は今回はじめてのような気がしてならない。なぜならこの試合は勝てた試合だったからだ。(昔からの好敵手”甲商”を意識しすぎたかも)
明るい話題もあった。先発メンバーは1年生2人、2年生3人と若いチームだ。中でも1年生の坂本司君(櫛形中184cm)は4番を任され、初打席でセンター越えの2塁打を放った。まえまえから中村同窓会長から「今度いい選手を工業に引っ張ったよ」と聞いていた選手だ。
朝3時に水戸を発ち、家に帰って来たのが夜の11時、甲府盆地も暑かった日帰りの野球応援、新チームに託しこれからも応援していくぞと誓いを新たにした。 
7175
            
 
   
  

 

PageTop

女性アーティスト

昨日、 高校野球 対 甲府商業戦が行われました。4;8で敗れました。詳細は明日のブログで報告いたします。


山梨の女性アート力強く 県立美術館、8月まで企画展

山梨県にゆかりの女性たちの作品を集めた「美し、やまなし、パワー! 山梨の女性アーティストたち」展が、甲府市貢川1丁目の県立美術館で開かれている(朝日新聞甲府総局など後援)。8月21日まで。
明治時代に南画の「女流画家」として活躍し甲府で暮らした野口小蘋(しょうひん)、「エースをねらえ!」で知られる漫画家の山本鈴美香=北杜市生まれ=、女性の体をモチーフにした陶作品を手がける松田百合子=忍野村に移住=など、約30人の作品が並ぶ。
県立美術館が女性というくくりで美術展を開くのは初めてという。「分野も幅広く、時代により人により苦労したところも違う。多彩な作品から女性たちのパワーをくみ取ってほしい」と白石和己館長。資料;朝日新聞
甲府城
7150

PageTop

神明の花火大会

市川三郷町の「87」 花火大会開催日のPR

花火の町、市川三郷町で8月7日に開催される「神明の花火大会」を盛り上げようと、同町職員が「87」のロゴ入りのポロシャツを着て、勤務している。ポロシャツは2014年に職員有志が考案。ロゴは開催日の「8月7日」を図案化し、「8」は花火玉をモチーフにしたもの。ポロシャツは黒、紺、水色、ピンクの4色があり、職場にさわやかな彩りを添えている。町総務課の望月直人係長は「職員みんなで花火大会を盛り上げたい」と話している。
町民にも好評なため、今年は花火大会の当日、会場内の総合案内所で1枚2000円(税込み)で販売する。花火大会は今年で28回目。8月7日午後7時15分から笛吹川河川敷で開かれ、約2万発の花火が打ち上げられる。
ここの花火大会の色彩を見ると通常の花火大会では満足出来なくなる恐れがあります事を予めご了承下さい。笑
資料;読売新聞
花火が良く見える大門碑林公園.(市川大門)
7151

PageTop

甲州人国記(31)

甲州人国記  “文化づくりを担う” ⑭-2   昭和58年                         

「日本が近代化する過程での経済社会のサンプルが山梨。甲州財閥を生んだ草の根資本主義の発生も早かった」と伊東の指摘。養蚕地帯を背景に、甲州商人は「山峡の貧乏脱出」をかけて、東京へ、横浜へと出て行った。
「戦前、やり手の甲州商人の評判は悪かった。オカネばっかり愛するのが甲州人ではない、と会を始めたのよ」と山人会会長望月百合子(82)。山人会は大正末年創設され、いま山梨ゆかりの文化人三百人が集まる。望月は、社会主義、無政府主義の草分けだった石川三四郎の娘。小学校まで母の実家の甲府で育った。女学校を出た大正八年、読売新聞婦人部記者。「もっと勉強しろ」という父に連れられ、パリ大学で西洋史を学ぶ。昭和十二年には新京(現長春)に行き、満州日報記者。「中国人を人間扱いしない開拓政策がたまらなかった。見た通り書くでしょ、関東軍にニラまれたよ」
戦後は語学を生かして翻訳、著述。サバサバと「先憂後楽の志は持ち続けるわよ。ほら、ウチは最低の生活でしょ」。平等社会を願う八十二歳の娘といった感じの望月が、「文化的な仕事をする甲州人が一人でも増えてくれれば」と山人会の旗をふる。会員の一人、小沢春雄(61)は通信機械工業会専務理事。前電電公社総裁理事で、学歴社会をえぐる異色小説『人事異動』を書いた。「電電山梨会」には三千人が結集している。「徒手空拳で出て来て道を切り開くのが甲州人。郷党意識は強いですよ」(敬称略)資料;朝日新聞 
望月 
小沢 

PageTop

陶磁器世界一コンペ

中田英寿氏「陶磁器世界一コンペ」をプロデュース

元日本代表MF中田英寿氏(39)が8日、都内で「国際陶磁器フェスティバル美濃,17」の記者発表会に登壇した。3年に1度、美濃で開催される世界最大級の陶磁器の祭典に今回は中田氏が総合プロデューサーに就任した。「サッカーをやめて以来、海外に3年ほどいて、そのあと日本全国47都道府県を7年かけて回り、昨年12月に一段落終えた後、沢山の工芸現場を見た中で、これだけすばらしいもの、すばらしい人がいる。僕も回るまで知らなかったし、知らない方もまだまだいる中で何かをしたい。自分がやりたかったことの1つなので非常にうれしい」と語った。

今まで総合プロデューサーは指名制で選出されていたが、今回は国際化やどう世界に発信していくのかというところに着眼。複数人中から点数化して最上位の中田氏が選出された。コンペティションも、今までデザインと工芸部門に分けて審査していたものを全て1つに統合。賞金も中田氏の提案でコンペティション最高額の1000万円が用意されている。中田氏は日本酒の普及にも尽力するなど活動は多岐にわたる。「モノはコミュニケーションを取るためのツールに過ぎない。相互理解のためのモノであるだけの話であり、そこはサッカーをやっていたときと全く変わらない」とぶれない姿勢を貫く。

陶磁器の魅力についても「世界は速く、安く、簡単にという状況へ向かっているが、ラグジュアリーとは何かと考えたとき、『手作りのもの』が最大のラグジュアリーではないか。それを多くの人にきちんと情報を伝え、理解してもらうための努力をする。世界的にも残っている日本から発進することが大事」と説いた。
陶磁器の世界一を決めるコンペティション。中田氏は「この賞を取ることで世界一有名になるか、世界一の賞金を取るかが世界一だと思う」。サッカー界で大きなインパクトを残してきた男が、今度は陶磁器を世界に発信していく。
資料;日刊スポーツ
中田英寿氏の母校 韮崎高等学校
7130

PageTop

NMGゴルフコンペ

第336回NMGゴルフコンペを行いました。
(那珂カントリ倶楽部メンバー&日立製作所水戸工場OB)

早いもので今回で336回の大会です。
期日 :7月12日(火)
場所 :  那珂カントリ倶楽部
コース: 中⇒西
天候:  晴れ
<成績>
優勝     市野沢 伊司
2位     渡辺 敬一郎
3位     大峡 明
4位     松延義一 
5位     村上 博靱 
6位     米山 三美
7位     石田 周二
8位     大塚 静男
9位     船田 健夫
10位    秋山 郁也
  
ドラコン    村上 博靱 ×3      大峡 明
ニアピン    大塚 静男 ×2  米山 三美
  
朝から強い日差しで今日は大変だと思っていましたが、午後からは気温も下がり終わってみればこころよいゴルフ日和となりました。しかも、今日は松延さんが久しぶりに参加してくれたので楽しくできました。また、市野沢さんがアンダーで優勝。実力があるので優勝するだろうとまえまえから思っていました。おめでとうございます。
中コース9番ショートホール。150ヤード
7121  

PageTop

明秀バロンカップ

明秀日立バロンカップ 石滝サッカー場(高萩市)にて開催決まる。

お世話になっております、明秀日立バロンカップの日程が決まりましたのでお知らせ致します。
参加校は次の4校です。明秀日立(茨城)、甲府工業(山梨)、学法石川(福島)、宇都宮短大付属(栃木)
<試合日程と時間>
8月9日(火) 10;30~甲府工業(A)VS 宇都宮短大付属(A)
       12;00~甲府工業(B)VS 宇都宮短大付属(B)
       13;00~明秀日立(A)VS 学法石川(A)
       15;10~明秀日立(B)VS 学法石川(B)

8月10日(水)9;00~甲府工業(A)VS 明秀日立(A)
       10;40~甲府工業(B)VS 明秀日立(B)
                     12;00~学法石川(B) VS  宇都宮短大付属(B)
                     13;40~学法石川(A) VS  宇都宮短大付属(A)
       15;00~明秀日立(A)VS  宇都宮短大付属(A)
       16;30~明秀日立(B)VS  宇都宮短大付属(B)

8月11日(木)10;30~甲府工業(A)VS 学法石川(A)
        12;10~甲府工業(B)VS 学法石川(B)
        13;30~明秀日立(A)   ?

山梨より総勢30名の後輩たちが茨城に来ます。ぜひ子供達の頑張る姿をみてください。
また、茨城には先輩たちがこんなに大勢いるんだと言う力強いところを見せてやって下さい。
甲工同窓会の応援をお願い致します。
2日目(10日)の夕方には、日立の居酒屋で各チームスタッフと関係者の懇親会が有ります。
茨城同窓会員で参加ご希望の方はご連絡頂ければお席をご用意致します。 (木本 土八
 

PageTop

野沢啓佑選手(25)

陸上男子400メートル障害に出場する野沢啓佑選手(25)巨摩高校出身。

リオデジャネイロ五輪の陸上男子400メートル障害に出場する野沢啓佑選手(25)の壮行会が8日、南アルプス市の母校巨摩高校であった。在校生と教職員約700人が野沢選手を激励した。野沢選手は「巨摩高校の恩師である小林直樹先生をはじめ、みなさんの支えがあって五輪出場を勝ち取ることができました。本番でもみなさんが応援していることを忘れないようにして、自分のベストパフォーマンスを発揮したい」とあいさつした。野沢選手は旧甲西町の出身。巨摩高校卒業後、早大からミズノと進んだ。巨摩高校では男子400メートル障害予選の行われる8月15日、校内でパブリックビューイングを行い、野沢選手を応援する予定。資料;読売新聞
 
天神山の夕焼け 2016.7.10写す。
夕焼け  

PageTop

おかあさんコーラス

「おかあさんコーラス」山梨県勢2団体、全国大会へ 

第39回全日本おかあさんコーラス関東支部大会(全日本合唱連盟関東支部、朝日新聞社主催、キユーピー協賛)が3日、甲府市寿町のコラニー文化ホールで閉幕した。茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、新潟、山梨、静岡の9県から、2日間で90団体が出場。引き込まれるようなハーモニーを響かせた。優秀賞の団体からの抽選などと、支部長推薦により、計13団体が、8月27、28日に青森市で開かれる全国大会に推薦された。
山梨からは、La Consorte、富士吉田コール白樺の2団体が、全国大会出場を決めた。資料;朝日新聞
 
  

PageTop

富士登山

富士登山者2倍 1万1551人

富士吉田市は7日、今月1日に夏山シーズンが始まった富士山の山梨県側の登山者数を発表した。山開き当日は1773人で前年同期比1540人増、6日までの6日間の累計では1万1551人で、同6541人増と2倍以上に増えた。前年より大幅に増えた理由について、市は「山開きの日が金曜日と週末に近い日程と、天候に恵まれたためではないか」とみている。7月中旬以降はより多くの登山者が見込まれるため、市などは7月16~18日と、同21日~8月28日の計42日間、8合目の山小屋「太子館」に、けがや体調不良の登山者にボランティアの医師や看護師が応急処置を施す救護所を設けることにしている。資料;読売新聞
精進湖畔から眺めた富士山
618.jpg

PageTop

甲州人国記(30)

甲州人国記  “受験文化の時代に” ⑬-2   昭和58年
                               
東京の学校群制度の生みの親、文京大学長の小尾乕雄(とらお)(75)は、長坂町に育ち旧制諏訪中卒。「甲、信の両棲(りょうせい)動物ですよ」。甲州現実主義に信州教養主義が接ぎ木された趣。文京大は軌道に乗り、「もうまかせている」。群教育長時代の学校群制はポシャッタ。「高校受験過熱へのショック療養にはなった。超名門校が消えたよ」。孫が九人。「今の子は人と仲良くしない。人間差別の偏差値教育は親殺しに結びつく」。小尾は国語教師として教壇に立った経験を持つが、国語教育の推進者が須玉町出身の輿水実(75)。国立国語研究所の名誉所員だ。戦後、教育指導要領の作成に当たり、「だれにも出来る近代的、合理的な国語教育」を目指した。主宰する「国語教育近代化の会」には教師八百人。言語哲学の学者は、「国語の力は全教科の基礎力です。すべての学習の根底にある学として、国語教育をとらえなくてはいけない。言語文化の教育なんですから」。授業時間の少なさと国語力の低下を憂える。「学生が無気力で、創造力も想像力も退化している。想像力がないということは、他人の痛みをわからず残酷なことも、平気でやれるということですからね。共通一次の毒が回ってきた」と、法政大教授で国文学者の小田切秀雄(66)。戦後、清新な文芸評論活動を展開して来た想像家は「昭和軽薄派とでもいえる、その日暮らしの軽文学、うつろな風俗小説が、文学の名で横行している。小説が売れなくなって当然ですよ」。旧制高校時代、治安維持法で逮捕され、十手で拷問された体験をもつ。自由にモノがいえなくなる管理社会への抵抗を胸に、いま『昭和の思想と文学の五十年』を書く。
小田切の父は牧丘町出身で、根津財閥系の証券会社役員だった。学生結婚した妻の医師みゆき(68)は、初代牧丘町長の娘。小田切の実弟が、近代文学館理事長、立教大教授の小田切進(58).精魂傾けた文学の殿堂は、樋口一葉日記などを資料に、『近代日本の日記』に取り組む。
中世国文学の日本学士院会員、東大名誉教授市子貞次(71)は甲府市生まれ。小学校一年まで住む。初代国立国文研究資料館長をし、古典の戸籍簿作りに精魂を傾けた。
(敬称略)資料;朝日新聞 
小尾  輿水  小田切1  小田切   

PageTop

甲府空襲

甲府空襲 71年前の今日…県立図書館で展示

米軍の爆撃で甲府市街地に甚大な被害が出た「甲府空襲」から今日で71年。
戦争を知らない世代に平和の大切さを伝える「甲府空襲 戦争と平和・環境展」が、甲府市北口の県立図書館で開かれていた。空襲は1945年7月6日深夜から7日未明にかけて行われ、大量の焼夷しょうい弾などで市内が火の海となり、全滅し127人が犠牲になった。たった1軒松林軒だけが残った。
会場には爆撃で廃虚となった市街地の写真や空襲の被害を記録したパネル、女性がはいていた「もんぺ」や食糧配給の切符など約450点を展示された。空襲の実態だけでなく、戦時中の制限された市民生活の様子も伝えていた。
資料;読売新聞

甲府市太田町にて
77

PageTop

オオムラサキ

オオムラサキ羽化   北杜市オオムラサキセンター

北杜市長坂町富岡の北杜市オオムラサキセンターで、国蝶のオオムラサキの羽化が始まった。今年は6月の日照不足の影響で、羽化は例年より1週間ほど遅く、ピークは7月中旬に迎えるという。同センターによると、今年は今月18日に最初の羽化が確認され、28日までに約50匹が羽化した。いずれも羽の色が青紫色のオスとみられる。
同センターの跡部治賢じけん館長は「オオムラサキの羽化は神秘的で生命のたくましさを感じさせます」と話し、多くの来場を呼びかけている。問い合わせは、同センター(0551・32・6648)。資料;読売新聞

北杜市オオムラサキセンター
750

PageTop

山本周五郎

 山本周五郎 生誕113年の集い…ゆかりの地・大月市

「樅もみノ木は残った」や「青べか物語」などの作品で知られる大月市出身の小説家・山本周五郎(1903~67年)の生誕イベントが25日、大月市初狩町下初狩の旧奥脇家住宅「みどう本陣」で開かれた。6月22日が誕生日である周五郎の「生誕113年・初狩の集い」と銘打ったイベントで、地元住民有志が企画した。会場の「みどう本陣」は、明治36年生まれの周五郎に清水三十六(本名さとむ)と名づけた奥脇愛五郎の家で、甲州街道下初狩宿本陣跡でもある貴重な建物。敷地内には先代当主が1979年6月22日に建てた「山本周五郎生誕之地」の石碑も置かれている。
この日は千葉県松戸市のボイストレーニング講師、石上瑠美子さんが、周五郎の作品の「山彦乙女」や「青べか物語」の一節を朗読した。資料;読売新聞

741

PageTop

たなばたさま

童謡 『たなばたさま』 の発祥の地は韮崎市穴山町。

今年も七夕さまの飾りがあちこちで見られる時期になりました。小さいお子さん達が唄っていた「たなばたさま」。
この歌の作詞は野口雨情の弟子、権藤花代(旧姓 伊藤はなよ)は韮崎市穴山町の出身です。詩碑はJR中央線穴山駅脇にある「穴山さくら公園」に設置されています。

ささの葉 さらさら のきばにゆれる お星さま きらきら きんぎん すなご 

五しきの たんざく わたしが かいた お星さま きらきら 空からみてる 

権藤花代は、山梨県師範学校を卒業後、教員をしながら童謡の作詞をしていました。「たなばたさま」は、1941年に国民学校の教科書に掲載され、75年経った今でも大勢の子どもたちに親しまれています。誰でも一度は口ずさんだことのある愛唱歌。皆さんも権藤花代の生まれ故郷、穴山町を想い浮かべ、「たなばたさま」を口ずさんでみてはいかがでしょうか。きっと、童心にかえり心が和むことと思いますよ。
穴山駅にある看板
730

PageTop

白河の城修復

白河の城修復に甲州石工の力 住み込み作業

福島県白河市の国指定史跡、小峰城跡。東日本大震災で石垣が数千個も崩れた。市のシンボルの城を復活させようと、今、修復が進む。その作業を親方として仕切るのが、甲州市の石工、五味 博さん(67)だ。甲府城の石垣を修復した経験をいかし、2013年から住み込みで被災地の復興を支えている。白河市によると、小峰城は14世紀ごろに築城された。江戸時代の寛永年間に、初代白河藩主の丹羽長重によって大改修され、現在に近い姿になった。戊辰戦争で焼け落ちたが、1990年代に建物を古い絵図などを元に忠実に復元して整備。2010年に国の史跡に指定され、観光地としてもにぎわっていた。だが、震度6強の揺れで、総延長約2キロの石垣のうち、計160メートルが崩れた。
崩れたのは、城の正面玄関である「本丸南面」や、「竹之丸南面」など10カ所。落ちた石は約7千個で、重いものは約3トン。最も被害が大きかった本丸南面では高さ約10メートルの石垣が全て崩れた。資料;朝日新聞
甲府城の石垣
720

PageTop

甲府の早慶戦。

 高校野球 甲府工業VS甲府商業  甲府の早慶戦。

夏の高校野球山梨大会の初戦は、甲府工業対甲府商業の対戦となった。公立の伝統校同士、かつて2007年の決勝戦の時、「甲府の早慶戦」と言われた事があった。甲府工業は、中沢(阪急)、佐野、深沢(広島)中込(阪神)山村(阪神)辻(ロッテ)現国士舘大学監督など多くのプロ選手を輩出してきた。甲府商業は、元プロ野球巨人軍の堀内監督の母校であり、共に甲子園は何度も経験した。7月14日(木)14:00の試合には、両校とも全校生徒の応援を計画していると聞いている。頑張れ甲府工業!なお、開幕戦の始球式では、カーリングの小穴桃里(こあなとうり)さん(21)が投手を務める。小穴さんは甲府市出身で、2月の日本選手権で準優勝した「チーム富士急」の所属。

PageTop