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小林一三の世界②

宝塚100年育んだ小林一三の文化力 ②    小林一三記念館館長 井伊春樹

 生涯に2千を越える句作があり、その一部の百句が近く「俳壇」に掲載される。亡くなる直前の「鶏鳴く暁を破って七返る初日出かな」は、生まれた酉年が7回目を迎えたと高らかに詠むあげ、進取的な行軒昂さを晩年まで持続していたことを示している。
 小説に至ってはさらに関心が高く、17歳で山梨日日新聞に初めての小説「練絲痕」を連載する(モデルとなった殺人事件の描写詳しすぎるとして中止を余儀なくされた)など、尾崎紅葉にあこがれ、作家を志してもいた。「(明治文学の)十指の中に入り大物となったかもしれない」と評価されたほどだ。
 銀行に就職してからも次々と新しい作品の構想を練り、草稿やあらすじの原稿も現存している。大正4年には「曽根崎艶話」という長編も出版している。
一方で、明治43年に梅田を起点とする箕面電気軌道(後の阪急電鉄)の営業を始め、宝塚には温泉事業とともにプールを作り、沿線は宅地開発し、ターミナルデパートを開業するなど次々と事業を展開した。プールがうまくいかないとすぐさま少女歌劇に切り替える。これが今日の宝塚歌劇へ成長していった。
 彼は多くの事業を成功させたが、その先見の明の背後には、思考すると即座に記録する筆力、湧き出るような発想なの豊かさがあった。暮らしの中で娯楽を楽しめる街づくりを進めた根底には、少年時代体験した演劇への憧れや、小説や俳句の創作意欲、茶人としての素養があったのは間違いない。
 企業と文化の融合、その先駆的な世界を切り開いた存在が、まさに小林一三であったと思う。(終)

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