FC2ブログ

ちょっくら よっていけし

https://mh182130.jp

マラソン人生

マラソン人生                                 東京同窓会   深澤 榮造(C38)

1、建設会社で走った
 土木を卒業して建設会社に入った私は、配属された部署が技術研究所という自由時間が比較的多く取れる部署であったことから(仕事も一生懸命頑張って遣ったが)走ることに力を入れた。雨の日も風の日も、毎日昼休みを2時間近く取って走った。コースは多摩川上流府中市の是政橋と、下流府中市の多摩川原橋間を結ぶ、右岸左岸の土手周回コース11kmであった。国内・外の出張にも必ずシューズとシャツ、パンツを持って行った。昭和53年、5ケ月間出張したインドネシアでは、40℃の灼熱の下を走る人は、変人であると現地の人に馬鹿にされた。昭和58年、3ケ月出張したイラクでは、当時イランと戦争中であり、空襲警報も鳴って街中を走る雰囲気ではなかったが、周りに気をつけて走った。こうして会社在籍40年間、給料を貰いながら会社の中で十分に走らせて貰った。会社には心から感謝している。今も市民マラソンに出ている。東京マラソンは平成28年2月出場で計4回になる。私は高校時代はユネスコ部(部長:故三橋徳雄先生)で3年間部活動した。運動は何もしていなかった。

2、塵も積もれば山
 50年間で走った距離は、6.9万kmである。この距離は地球を1.7周回った。札幌⇒鹿児島間1600kmを21往復した距離勘定になる。毎日少しずつであるが、ちょこちょこ走った距離がこの数字である。正に塵も積もれば山である。

3、走りの真髄
 走っている時は苦しくて、「もう止めよう、もう止めよう」と何時も思う。周りからは「深澤は会社に定期代を出して貰って走りに来ている」と言われたことがあった。私は苦しくても、周りから何を言われようと、走ることで自分の世界(走禅:なるようになるさのケセラセラの世界)を作ることができ、自分を律することができる。このことで結果的に仕事のトラブルやストレスも、全てハーピーエンドに解決することができた。走りの真髄は「走禅:先を深読みしない⇒ケセラセラの世界」に入れることである。これからも走りで人生、全てハピーエンドとしたい。(終)

    ランニング1      
マラソンに魅せられて半世紀、自分のポリシーが揺れることなく、走ってきたことは凄いことです。今やメタボなどで苦労している人々が多いこのさなか、走ることができる人はうらやましく思います。貴重な体験談有難うございました。

PageTop