
ノーベル賞・大村智さん、山梨の生家が国文化財に
2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞した北里大特別栄誉教授の大村智さん(84)の生家である「大村家住宅」(山梨県韮崎市神山町鍋山)の主屋(おもや)と土蔵が国の有形文化財に登録されることになった。
文化庁によると、主屋は明治40年ごろ、土蔵は大正5年ごろの建築で、後に改修され、いずれも切妻造、桟瓦葺(さんがわら)の屋根。審議会は農村地域の歴史的景観に寄与していると評価した。
大村さんが育ったころは養蚕が営まれ、昭和33年に山梨大を卒業するまでこの家で過ごした。大村さんは5人きょうだい。「家全体が養蚕の作業場で、寝る場所にも困ったが、きょうだい全員が大学に行けたのは養蚕の収入のおかげ」と振り返った。
蔵の2階は当初、米倉だったが、戦時中に疎開者を受け入れるために座敷に改修した。大村さんは、そこで弟の泰三さん(開智学園理事)らと勉強したのが懐かしいという。「庭でキャッチボールしたのも思い出」と話す。
60年ごろから北里大の学生の勉強会などに利用した。大村さんが「蛍雪寮」と名付け、今も玄関に看板が掲げられている。その後は一時、シェアハウスとして利用され、今は民間団体が講座などの会場として使っている。
2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞した北里大特別栄誉教授の大村智さん(84)の生家である「大村家住宅」(山梨県韮崎市神山町鍋山)の主屋(おもや)と土蔵が国の有形文化財に登録されることになった。
文化庁によると、主屋は明治40年ごろ、土蔵は大正5年ごろの建築で、後に改修され、いずれも切妻造、桟瓦葺(さんがわら)の屋根。審議会は農村地域の歴史的景観に寄与していると評価した。
大村さんが育ったころは養蚕が営まれ、昭和33年に山梨大を卒業するまでこの家で過ごした。大村さんは5人きょうだい。「家全体が養蚕の作業場で、寝る場所にも困ったが、きょうだい全員が大学に行けたのは養蚕の収入のおかげ」と振り返った。
蔵の2階は当初、米倉だったが、戦時中に疎開者を受け入れるために座敷に改修した。大村さんは、そこで弟の泰三さん(開智学園理事)らと勉強したのが懐かしいという。「庭でキャッチボールしたのも思い出」と話す。
60年ごろから北里大の学生の勉強会などに利用した。大村さんが「蛍雪寮」と名付け、今も玄関に看板が掲げられている。その後は一時、シェアハウスとして利用され、今は民間団体が講座などの会場として使っている。

