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救済の人

原爆忌に悼む「救済の人」遺族らに保険金支払い奔走 甲州の菊島奕仙さん

広島に原爆が投下された直後から、保険会社の広島支社長として、遺族らへの保険金の支払いに奔走した甲州市出身の男性がいた。
菊島奕仙(えきせん)さん(享年78歳)。
後に菊島さんが住職に就いた法幢院ほうどういん(甲州市塩山上萩原)で6日、原爆投下から70年を迎え、初めて菊島さんの家族らが参列した法要が行われ、菊島さんが平和を願って同院に建てた原爆慰霊碑の全文が読み上げられた。
菊島さんは1899年、甲州市塩山上萩原で生まれた。
1927年に「第一生命」に入社し、40年に同社の広島支社長に就任した。
同社によると、広島支社は当時、爆心地から約500メートルほどの場所にあった。
当時、支社の建物疎開が検討されており、菊島さんは原爆投下の当日、疎開先を探すため支社にはおらず、無事だった。
原爆投下から4日後、広島に戻った菊島さんは、保険金の支払い業務を始めた。
当時を振り返った広島市民の手記に「菊島さんは、死亡証明書、保険契約書がなくても申し立て通りの保険金を気持ちよく無制限に支払い、社会に一条の光を放った」との記述があったという。
同社の担当者は「菊島さんは、被爆という惨事の中、保険金の迅速な支払いをしただけでなく、市民の安否確認も率先して行い、保険金の請求をするよう促したらしい」と話す。
退社後も大手企業の相談役を務めるなどしており、寺に常駐することはなかったが、故郷の学校や消防団に資金援助をするなど、ふるさとのことを気に掛けていたという。
69年に建てた慰霊碑には、「広島長崎への原爆は初めての試練のものであつて最後のものであつてほしいと念じて止まぬ」と、菊島さんの平和への祈りが刻まれている。慰霊碑。同寺院の再建には、第一生命の石坂泰三元社長、後に首相となる大平正芳氏、ヤンマーなど企業のトップ、大蔵省・国税庁関係者など、140名近い政界、実業界、官界の著名人が協力した。菊島氏の人脈の幅広さがうかがえる
資料:ダイアモンドオンライン

菊島奕仙氏  前列右から3人目
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