
76年前、太平洋戦争末期の昭和20年6月10日にアメリカ軍による大規模な空襲で600人を超える社員が死亡した日立市の日立製作所で、社員らが犠牲者を追悼しました。
太平洋戦争中、多くの軍需工場があった日立市では76年前の昭和20年の6月から7月にかけてアメリカ軍による空襲や艦砲射撃を受け、あわせて1500人を超える人が死亡しました。
このうち6月10日の空襲では、日立製作所の社員634人が犠牲になりました。
10日朝は幹部社員4人が市内の霊園を訪れ、犠牲者を慰霊するための石碑に静かに手をあわせていました。
また、日立製作所の日立市幸町にある工場では、空襲のあった午前8時51分にあわせておよそ1000人の社員たちが黙とうをささげました。
日立製作所日立事業所の稲川修庶務課長は「多くの先輩方が一瞬で命をなくした戦争の悲惨さを社員たちに知ってもらい、同じことが起きないように後世に伝えていきたい」と話していました。
今朝の日の出 4:07 写す

太平洋戦争中、多くの軍需工場があった日立市では76年前の昭和20年の6月から7月にかけてアメリカ軍による空襲や艦砲射撃を受け、あわせて1500人を超える人が死亡しました。
このうち6月10日の空襲では、日立製作所の社員634人が犠牲になりました。
10日朝は幹部社員4人が市内の霊園を訪れ、犠牲者を慰霊するための石碑に静かに手をあわせていました。
また、日立製作所の日立市幸町にある工場では、空襲のあった午前8時51分にあわせておよそ1000人の社員たちが黙とうをささげました。
日立製作所日立事業所の稲川修庶務課長は「多くの先輩方が一瞬で命をなくした戦争の悲惨さを社員たちに知ってもらい、同じことが起きないように後世に伝えていきたい」と話していました。
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