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甲州人国記(1)

甲州人国記(1)“山々の咲き合う国” 1983 年( 昭和58年) 
                            
一月の川一月の谷の中
東八代郡境川村に住んで、俳句誌『雲母』を主宰する飯田竜太(62)が愛する自作の一句である。
俳壇の中で、ひときわそびえ立つ峰だった竜太の父蛇笏(だこつ)の句に、「夏曇群るゝこの峡中に死ぬるかな」があるが、「枯れ山の月今昔を照らしゐる」 (竜太)山峡の村が、父子二代の誌心を澄みきらせてきた。
甲斐は山々の咲き合う国である。
蛇笏は「芋の露連山影を正うす」と詠み、蛇笏の友、前田普羅は「奥白根かの世の雪をかゞやかす」と絶賛した。
東南に裏富士、西の天に南アルプスを望み、「甲府盆地と御坂山系のきれめのあたり」の谷間に住む竜太の心を染めるのも、山、雲、川の表情である。
歳月が重く沈み込んだ石畳の道を下って訪れた飯田家は、松の巨木が青々と生気を放ち、外界を隔離するように静まっていた。「あの山は誰の山だどっしりしたあの山  井伏鱒二」の額がかかる青畳の部屋で、「ここでは、音も匂いも純粋ですね。とくに冬は音が澄んでくる」と着流しの竜太。
いま、『雲母』の同人七千人。俳壇の第一人者といわれる竜太だが、父蛇笏とは、俳句の話しをしたことはほとんどない。
「父は私が文芸にかかわりを持つことを危険視していましたから」。
長兄と三兄を先の戦争で失った。
「私には、優秀な人は戦争で死んだといううしろめたさが、常につきまとっています」 甲斐の山々は、一つ一つが自己主張している、と竜太。
その山に直面しながら、流行を追わず、変わらないものにすがろう、と思い定める。
「私は後ろ髪をひかれるようなもの、メメしいものの方が、旧軍隊を支えた虚構の大義より大事だと思う。一職人として『クモの糸』のようなささやかなものを大切にしていきたい」と。(続く)
(敬称略)     資料;朝日新聞 甲州人国記 “山々の咲き合う国”  昭和58年より。

  境川村に住む飯田竜太
 飯田竜太

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