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甲府工・田名網監督

甲府工 監督・田名網英二さんの思い出 ②   昭和55年  越智 正典 (解説者)

「いやあ、広島と阪急の 日本シリーズがあったときは困りましたな 深澤修一が死球で出塁すると、代打が佐野嘉幸で捕手が中沢伸二
こりゃあ弱りました。深沢はまだ若いから、死球なら上々。
ところが、佐野はもうベテランだし、南海から広島へ行った ばかり。                     

なんとか、一本打たなきゃあ立場が悪くなるでしょうよ。
でも、キャッチャー中沢。                                         

ヤツも、やっとポジッションをもらったばかりでしょ。
こういうところで打たれたんじゃ当然評価がさがるし・・・」
その中沢が、まだ一軍半でくさっていたころ、田名網さんはこの教え子 に会いに行った。
「宿に行ったら、パイレーツで一緒だった関口君 (当時阪急コーチ。現近鉄)から、中沢がコーチのいうことをきかない 」という話を聞いたので、隣の部屋に呼んで、わしは怒った。
なんということだ。
一人前にもなれんで。
プロ野球といえども一つの社会。
その社会のルールも守れんのか。
[そんなことならもう甲府へ帰ってくるな、と腹の底から怒った」「そうしたらヤツ、目からポロポロ涙を落としましてな。プーとふくれて部屋から飛び出して行きよった。                               それから甲府へ帰ってこなかったみたいだけど、わしはあのときのヤツの目が忘れられなくて こまりましたよ」中沢はやがて頭角をあらわし、一軍に定着した。
次の年でしたか、ヤツはオフになると、わざわざ学校(甲府工)に来られたんですよ。
学校の前にあるパン屋のパンを全部買い占めましてね。
野球部屋の後輩に食べさせてください。
山のようなパンを見たときは、びっくりしましたよ。そしたらヤツ、先生、すいませんでしたって、あの時のことをあやまって、また大阪へ戻って行ったんです。
こう話してくると、田名網さんの顔からは、往年の勝負師の表情は、もうどこにもなくなっていた。
二十数年間、生まれた故郷を離れ、甲府の町で少年たちを育ててきたこの男の顔には、慈愛がしみじみとにじみ出ていた。中沢は阪急の捕手として、V4に向ってチームをリードしている。  (終)

中沢伸二(M39)阪急、宝塚市在住。
深澤修一(M41)広島、北杜市在住。   
佐野嘉幸(M37)広島、中野市在住。         小山市出身、田名網英二。
中澤                                      田名網
       


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