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ちょっくらよっていけし   

甲州人国記(3)

甲州人国記  “庶民の心を生きる”  ②   昭和58年 
                          
「ここは、甲州のように山がねえからね。甲州の山は、なんともいえんさ」。
関東平野が広がる埼玉県南埼玉郡菖蒲町の「ララミー農場」内のすみか。
主人の七郎さんは、テレビと石油ストーブに向い、土間のヘリに腰を下ろしていた。
同居人の「ミスターレモン」が、庭で採れたカキをむいてくれる。
「カキは少し未熟な方がうまいだけんど」「うちのミソもひとつなめてみんけ」。
自家製のミソとキュウリ。天然の香が舌にしみ入る。
甲州方言まる出しの七郎さんは、作家の深沢七郎(69)だ。
四十二歳の「厄年」に書いた小説『楢山節考』は、「恐るべき小説」と文壇に衝撃を与え、続く長編『笛吹川』で、武田家三代統治下の庶民生活流転の相を描く。
四十六歳の折り、中央公論に『風流夢譚』を発表し、「天皇家を傷つけた」と右翼の攻撃を受けて逃亡、流浪の生活。四十年以来、農場に住み、三十五アールの畑に桃、梅、クリ、ナシを植え、ネギ,菜っぱ、大根、キュウリを作る。「賞をもらえん人に悪いから」と『みちのくの人形たち』の川端康成賞受賞を拒否し、谷崎潤一郎賞は受けて話題をまいた。
作家・深沢の素地を培ったのは、この「茶飲み話」「縁側話」での見聞だったろう、と思えてくる。
『笛吹川』では、お館(やかた)様である武田信虎、信玄と庶民とのかかわりをはっきりさせたい、と一年がかりで資料を調べた。続く (敬称略)  資料;朝日新聞

甲州方言まる出しの深沢七郎,石和町生まれ。

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