
武田信玄配下の「武田二十四将」の一人で郡内地域の領主だった小山田信茂と、武田信玄の息女の松姫の合同慰霊供養祭が4日、約80人が参列して山梨県大月市賑岡町畑倉の威徳寺で営まれた。
小山田信茂公顕彰会(小俣公司会長)が主催し、今年で5回目。前回に続き、松姫が開いた寺院「信松院」(東京都八王子市)の西村和裕住職(57)が、姫の位牌(いはい)を持って参列した。
江戸時代の「甲陽軍鑑」などの史料による通説では、信玄の後を継いだ勝頼は1582(天正10)年2月から織田・徳川軍の侵攻を受けて敗走。3月に信茂を頼って岩殿城(山梨県大月市賑岡町)に向かって落ち延びたが、信茂から途中の笹子峠で鉄砲を撃ちかけられ、郡内領に入れなかったという。
小山田信茂公顕彰会(小俣公司会長)が主催し、今年で5回目。前回に続き、松姫が開いた寺院「信松院」(東京都八王子市)の西村和裕住職(57)が、姫の位牌(いはい)を持って参列した。
江戸時代の「甲陽軍鑑」などの史料による通説では、信玄の後を継いだ勝頼は1582(天正10)年2月から織田・徳川軍の侵攻を受けて敗走。3月に信茂を頼って岩殿城(山梨県大月市賑岡町)に向かって落ち延びたが、信茂から途中の笹子峠で鉄砲を撃ちかけられ、郡内領に入れなかったという。

