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甲州人国記(5)

甲州人国記  “一筋道を歩みつつ ” ③-1   昭和58年 
                          
山岳写真の第一人者白簱史朗(49)の自著『山に憑(よる)かれて』の扉には、「山高くして吾が行く道はるかなり」と書かれていた。
六千メートルのヒマラヤ、デオ・チバ山から
初滑降を果たしたり、ネパール・ヒマラヤのマカルー峰をきわめたり。
昨年は二百日のヒマラヤ行をして、山岳家としても定評のある白簱だが、「道はるか」は体験を通した実感であろう。山の奥行きはそれほど深く、人生もまた似ている、と白簱は思うからだ。
 童顔の目はくりくりと澄んでいる。
ヒマラヤにしても、白簱が永遠の山という甲斐の南アルプス・北岳にしても、心の山という尾瀬にしても、白簱は対象にのめり込んで撮る。
山の一体感を感ずる、その一瞬の表情をつかみとる。
野宿はしょっちゅうだ。
大月市生まれ、いつも富士を見て育った。
十八歳で上京、富士山の写真家岡田紅陽に弟子いりする。五年間の徒弟暮らし。
カメラも岡田に借りるほど貧しかった。
撮影行について行って向き合った、日本第二の高峰・北岳の朝焼けに燃える姿が、白簱の道を決めた。
二十九歳の時、「食っても食えなくても山以外は撮らない」と宣言、南アルプス行き、年間二百数十日の記録。
「撮りつくしたと思っても、山は行くたびに表情を変えています。いまだしですよ」。
人生の旅も正攻法だ。(敬称略) 資料:朝日新聞
大月市生まれの白簱史朗さん
白籏

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