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甲州人国記(6)

甲州人国記  “一筋道を歩みつつ ” ③-2   昭和58年

棋王、将棋九段の米長邦雄(39
)には、「さわやか流」のニックネームがついている。
「攻めの勝負師」といわれる棋風もだが、長身、秀でた額、明せきな語り口には、青嵐のような現代棋士の風韻(ふういん)がある。
潔(いさぎよ)い引き際で知られた元首相、故石橋湛山を生んだ南巨摩郡増穂町育ち。
兄たち三人は東大で将棋部主将、週間朝日誌上での「三十年ぶりの兄弟対局」が話題を呼んだ。
旧地主の生家は敗戦で没落して貧乏暮らし。
母親がタバコ屋をして子育てをする。
「将棋だけは兄貴らに負けるもんか」と、負けん気の四男坊主だった米長は、中学一年の時、単身上京して佐藤勇次八段の内弟子に。
中学生と小学生の内弟子二人を家に置く。
都立鷲宮高で同級生だった明子夫人と三人暮らし、内弟子二人の七人で朝鮮焼き肉の卓を囲み、米長はなにくれと気をつかった。
心細やかな甲州男児だが、「負けた時のことも計算に入れておいて、一発勝負にでるんです」。
米長の著『人間における勝負の研究』は十万部売れた。
「禅に通ずる自然の道理の機微」に勝負どころを見ようとする目が、盤上に人の世を見る。
「華やかな面ばかり見て、子どもを棋士にという親がいるが、風雪に耐えなきゃダメです」。
棋聖二回、棋王三回、王位一回のタイトルを握った。
王将、名人戦では破れている雪辱を果たせるか。「日本一を目指しますよ」。
(敬称略) 資料:朝日新聞 甲州人国記  “一筋道を歩みつつ ” ③ 昭和58年より。

増穂町育ちの米長邦雄さん。
米長

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