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甲州人国記(11)

甲州人国記  “キツネとタヌキ” ⑤-2   昭和58年 

「山梨の家に帰ると、古い友だちがたいてい十四、五人は集まってくる。
昔の人は人情があるさ」。
高血圧で充血した目が時にうるみ、時に光る。
心臓発作用のニトログリセリンを持ち歩く体が、「甲州人は根性だよ」。       
勝沼町の公民館、役場、消防庁舎造りに尽くした小佐野賢治は、同町名誉町民である。
母校には、「小佐野図書館」も建つ。
経営するホテルでの豪華な小学校同期会は、町の語り草だ。
尋常小学校を出て上京、軍と結び、米軍ご用達も努めて、はい登ってきた大実業家街道。
機敏な抜け目なさと盛んな行動力に、天びん棒を肩に財を築いた明治初期甲州商人の「血の流れ」を感ずる山梨人は少なくない。              
「山地区の純収入は、年間一戸三百万円はない。
甲州はまだ貧しいさ」と賢治。
急逝した片腕とも頼む二人の弟に話が触れると、目に涙をにじませた。
しかし、一代の政商は感傷などに生きていない。
「中曽根で決まりさ」と、自民党総裁選の見通しがついた日、賢治の表情には喜色があふれ出た。         
『屈角内閣』の出現で、肌で危機を幹時増す。
悔いが残らないように叫び続けますよ」。
言論弾圧の歴史と庶民の戦災史を掘り起こして来た甲府市出身のジャーナリスト松浦総三
(68)の憂憤である。
反民主主義の金権構造の根を断て、とロッキード事件究明の市民運動もした。
松浦の目に、金権構造と戦前の軍事大国が重なって映る。
(敬称略)資料;朝日新聞 甲州人国記 “キツネとタヌキ” ⑤ 昭和58年より 
甲府市生れの松浦総三。
松浦

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