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甲州人国記(13)

甲州人国記  ”財界実力者は健在”  ⑥-2   昭和58年 

住友金属工業会長の日向方斉(76)には、「甘い純情と厳しいリアリズムの同居する怪物」という評がある。「切れ者」「鋭い」の世評にも事かかない。
敗戦の混乱期から住友金属を立て直して銑鋼一貫体制を軌道に乗せ、関西経済連合会会長として、財界一方の実力者である日向は、歌詠みだ。
[学び舎の児らも別れて行く日ぬいづこの鉱山(やま)に行くらむ児らは] 戦前、北海道の住友鉱閉山の際、日向が詠んだこの歌を、俳人宮柊二は、内なる心が、こもり響いている、と評した。
日向は格別、作歌の精進をしたわけではない。「歌心おのずから発し、奔(ほとばし)るのを書き記しただけ」と照れた。
三十三年、高炉建設のため世界銀行から借款を求める旅を、「日向はウオール街ビルの谷間をひたぶるに金を求めて往来ひと歳(とせ)」と詠んだ。
情景が目に浮かぶが、経営者としては「攻めの方斉」である。とくに四十年には、通産省の粗鋼減産案に反対して譲らず、他の鉄鋼大手とも対決して「ケンカ方斉」の名を高めた。
「反対なら原料炭をちょん切るというから、ちょんぎるならやってみろ、と通産次官にいった。官僚が民間企業に介入するなということですよ」
鉄鋼の対中国輸出を真っ先に成し遂げ、「周恩来は偉い政治家だった」という親中派ながら、根っからの自由経済主義者。
その日向はいま、「国あっての企業だ」と防衛力の強化を説き続ける。先年、「徴兵制発言」もあっただけに、側近は気をもむことしきり。
そして、「政治は私の思う方向に近づいていますよ」。少年時代、海軍工廠に勤めて海軍軍人にあこがれ、苦学した。故郷は西八代郡下部町の山村。簡素な家に住み、夜なきソバを汁まですすり込む庶民性と、「国防あっての国」への思い入れが、この明治人同居している。(敬称略)資料;朝日新聞
甲州人国記”財界実力者は健在”⑥昭和58年より
西八代郡下部町出身の日向方斉。      
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