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ちょっくら よっていけし

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避難生活

福島から山梨へ避難した家族の思いは…①

東北を中心に甚大な被害を及ぼした東日本大震災発生から、3月11日で5年を迎えた。
復興への歩みを続ける被災地と対照的に、県内では風化も懸念されているが、忘れてはならないのが県内に避難し、共に生活している人たちの存在だ。
とりわけ原発事故のため、福島県から避難してきた人たちの心情はさまざまだ。
帰郷に向けて準備を進める人、安心を求めて山梨永住を決意した人、さらに「帰りたいけど、帰れない」と悩みを抱く人…。
♦南相馬市→甲斐市 
福島県南相馬市小高区でとんかつ店「タケヤ」を営んでいた掃部関(かもんぜき)豊さん(49)一家6人が甲斐市に住み始めたのは、平成23年4月1日。
原発事故の直後、妻、有希子さん(48)の都留市に住む妹から「山梨の日本航空学園が被災した子供を受け入れている」と知らされ、同学園に連絡。数日後に山梨行きを決めた。
「入学試験もなく、長男(22)と次男(20)は学園の学生寮、長女(16)と三男(13)と夫婦は4DKの教員住宅に入居でき、当面は家賃なし。即断即決しました。ただ、こんなに長くなるとは…」
入居後すぐ、掃部関さんは学園の食堂で調理の仕事を始めた。
妻もパートに出た。「私らは恵まれてる。住居も収入もあったから」。
4月から長男は東京、次男は名古屋で社会人生活をスタートする。
昨秋に除染作業が終了しており、掃部関さんは月1回程度、自宅に戻っている。
とんかつ店があった商店街では理髪店、金物屋などが営業を始めている。
原発事故から5年。福島に戻るか、新天地でやり直すか…。家族の思いも、ときには揺れる。
『戻る』『戻らない』の判断に正解はなく、自分で決めるしかない。                  
資料;産経新聞より。
故郷は遠きにありておもうもの・・・

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