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避難生活

福島から山梨へ避難した家族の思いは…②

被害を及ぼした東日本大震災発生から、3月11日で5年を迎えた。
とりわけ原発事故のため、福島県から避難してきた人たちの心情はさまざまだ。
帰郷に向けて準備を進める人、安心を求めて山梨永住を決意した人、さらに「帰りたいけど、帰れない」と悩みを抱く人…。都留市に暮らす家族の思いを聞いた。
                   ◇
いわき市→都留市 
山野辺さん 子供に安心な場所、永住を選択余震が収まるのを待ち、いわきに戻ったが、「外に出られない生活はいや」と25年1月、家族5人で都留市の一戸建てを借り、避難生活を始めた。山梨で4度目の春を迎える。
妻の智子さん(40)は「『外気に触れるな』という、ただならぬ状態でした」と当時のいわき市の状況を話す。
自宅周辺は福島第1原発から48キロ離れ、避難指示はでていなかった。
山野辺さんは、夫婦と小学6年の長女(12)、同4年の長男(10)、同2年の次男(7)の5人家族。
安全な場所にみんなで避難したかった。
避難先を考えていた矢先に、本で読んだ都留文科大元学長の太田堯(たかし)氏の「外で遊ばせる教育が幼少期には必要」という考えに共感。
都留市には、5人家族が住める一戸建てのみなし仮設住宅があることも知った。
「これは何かの縁。都留へ行ってみるか」(隆男さん)と移住先が決まった。
隆男さんは工場で働き出した。いわき市の市職員時と比べ給料は安い。
残業で時間外手当を稼ぐ。「福島に帰りたい」の思いも家族をまとう。
「福島へ帰りたいのに帰れない」。気持ちが塞ぐこともあったという。
それでも生活は落ち着いてきた。長男と次男は少年野球に夢中だ。
「都留に永住しよう」。
夫婦の気持ちが一致した。子供たちにとって最も大切な“安心して外で遊べる環境”を求めた結果だ。
資料;産経新聞より。
富士山の近くに住んで元気を取り戻して下さい。

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