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甲州人国記(17)

甲州人国記  “先端産業の先駆者” ⑧-1   昭和58年
                               
「山申会」のメンバーの一人が、日本電気(NEC)会長小林宏治(75)だ。
総合エレクトロニクス(電子技術)産業トップメーカーへの基盤固めをした、実力者会長である。
富士山が見える日本電気の応接室で、「戦後、食うや食わずの中から、外国に負けてたまるかとムホン気で技術開発をやって来た。
霧に包まれたり、胸突き八丁を超えたり、よくここまで来れたよ」。
旧制都留中(現都留高)から東大電気工学科を出て、通信設備の技術革新に取り込んで来た工学博士・小林の感概。「衛星通信では世界の三分の一をNECが作ったよ」。
六十の地上局を建設し、実績世界一。
「日中国交回復の田中訪中はナマ中継すべきだ。カネはもらわんでもいい」と、徹夜の突貫作業で移動地上局を完成させた思いでもある。
『成長の限界』で資源有限の警鐘を鳴らしたローマクラブの日本委員会議長。
国際経済人の英語力は、「米占領軍との生き死にのかけひき」で身につけた。
「IBMのコンピュータの後を追っかけるな。苦しくても自前でやり遂げろ」と、新製品を開発する。
大月市初狩の故郷の山村に帰ると、「宏治さん、お元気ですけ」と声をかけられる。
いま同市名誉市民。
父は小学校校長だった。
無公害のNEC工場は各地引っ張りだこ。
小林は、コンピュウータ通信システムが村と大都市をつなぐ日の青写真を胸に温めている。
(敬称略)資料;朝日新聞 甲州人国記 先端産業の先駆者 ⑧ 昭和58年より。
大月市初狩生れの小林宏治。
 小林  
               

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