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甲州人国記(20)

甲州人国記  “富士山麓を見すえ” ⑨-1   昭和58年
                               
標高千メートル、富士山おろしが雨戸を鳴らして、陸上自衛隊北富士演習場ゲートわきの「入会小屋」は寒かった。
すぐ後ろに自衛隊の建物群と富士。「忍草(しばくさ)母の会」の女たちが、交代で座り込みを続ける小屋の外側は木サクで固められ、北富士闘争支援の若者たちが頑丈な鉄のカギを開けて小屋に導く。
「母の会」会長の渡辺喜美江(76)が、「十五番目の小屋ですじゃん」というように、四十二年、最初は着弾地に作られた小屋は、女たちの歳月と一緒に生きてきた。
「演習地全面開放」を訴える母の会が生まれて、二十八年になる。
国と山梨県の間で結ばれた演習場暫定使用協定の期限切れがこの四月。
それに反対派が「基地固定化につながる」と測量阻止を叫ぶ東富士有料道路(富士吉田市―御殿場)造りを目の前に、北富士に緊張感が漂う。
スゲがさにカスリのモンペ姿で、「富士を撃つな」「入会地の横取りを許さず」と、着弾地への座り込みをした北富士の女たちの猛女ぶりは、全国に有名である。
でも、白菜漬けをすすめてくれる渡辺も、母の会事務局長の天野美恵(58)も、心優しい猛女だ。乙女時代、演習場は朝草刈、夕草刈りの入会地だった。
当時、忍草は有数の馬産地。渡辺は馬で朝露の草原を駆けた。
野イチゴ、ボケの実、薬草採りの思い出。「あしたは連れてっとくれ、と若い男と朝草刈りの約束をしたもんだ」と天野。桑を育て、ソバを作った。「富士山からの風の吹き通しで霜がたまらず、作物が実った」。
わしらの生活は、入会地に依存していたさ」
「土は万年、金はいっとき」が母の会の合言葉である。
会員百五十人。
「全村、土方に行かなきゃあ食えんようなことじゃあダメ。演習場が返ってきたら、共同牧場にして、トウモロコシ、ソバも作ってね。女の気持ちですよ」「百年戦争ですよ」といいながら、二人の女は夢を語った。
(敬称略)資料;朝日新聞       
 渡辺

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