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ちょっくらよっていけし   

甲州人国記(28)

甲州人国記  “受験文化の時代に” ⑬-1   昭和58年 
                              
文化放送会長、全国朝日放送会長で放送界にも大きな発言権を持つが、なんといっても「豆単の赤尾」のイメージが強烈だ。旺文社社長の赤尾好夫(75)。「豆単」、つまり『英語基本単語熟語集』は千二百万部売れ、『総合的研究』の方も二百五十万部。受験雑誌『蛍雪時代』も月三十万部をくだらない。昭和六年、郷土石和町の父親に借金して、東京外語大卒業以来手がけた受験指導の仕事だから、半世紀を越える。
「小林中さんに『山申会』入りを勧められ、私は財界人じゃなく出版人だから入りません、と断ったら怒られた」と笑う。少年のころから「文章で身を立てよう」と思いを定め、外語時代は校友会誌にファシズム批判の巻頭論文を書いて学生課長に注意された。クレー射撃の名手で、猟にまつわる近著『猟人夜話』を川上徹太郎は、「一芸の達人文章」とほめている。
「七十五を過ぎると人生余禄ですよ。念頭には毎年、声の遺書を吹き込む」。昨春、「親不幸をした」母親の生地一宮町に、「きてみれば桃紅に野を染めて夢路さまよう春のふるさと」の石碑を建てた。反骨の論客だった旧日川中時代、同級生の親友に建設事務次官、水資源開発公団総裁をした山本三郎(73)。須玉町育ちの名古屋放送社長川手泰二(71)は、朝日放送の名うての事件記者だった。豪放さが持ち味。(敬称略)資料;朝日新聞
東八代郡英村(現笛吹市石和町) 出身
赤尾

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