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甲州人国記(30)

甲州人国記  “受験文化の時代に” ⑬-2   昭和58年
                               
東京の学校群制度の生みの親、文京大学長の小尾乕雄(とらお)(75)は、長坂町に育ち旧制諏訪中卒。「甲、信の両棲(りょうせい)動物ですよ」。甲州現実主義に信州教養主義が接ぎ木された趣。文京大は軌道に乗り、「もうまかせている」。群教育長時代の学校群制はポシャッタ。「高校受験過熱へのショック療養にはなった。超名門校が消えたよ」。孫が九人。「今の子は人と仲良くしない。人間差別の偏差値教育は親殺しに結びつく」。小尾は国語教師として教壇に立った経験を持つが、国語教育の推進者が須玉町出身の輿水実(75)。国立国語研究所の名誉所員だ。戦後、教育指導要領の作成に当たり、「だれにも出来る近代的、合理的な国語教育」を目指した。主宰する「国語教育近代化の会」には教師八百人。言語哲学の学者は、「国語の力は全教科の基礎力です。すべての学習の根底にある学として、国語教育をとらえなくてはいけない。言語文化の教育なんですから」。授業時間の少なさと国語力の低下を憂える。「学生が無気力で、創造力も想像力も退化している。想像力がないということは、他人の痛みをわからず残酷なことも、平気でやれるということですからね。共通一次の毒が回ってきた」と、法政大教授で国文学者の小田切秀雄(66)。戦後、清新な文芸評論活動を展開して来た想像家は「昭和軽薄派とでもいえる、その日暮らしの軽文学、うつろな風俗小説が、文学の名で横行している。小説が売れなくなって当然ですよ」。旧制高校時代、治安維持法で逮捕され、十手で拷問された体験をもつ。自由にモノがいえなくなる管理社会への抵抗を胸に、いま『昭和の思想と文学の五十年』を書く。
小田切の父は牧丘町出身で、根津財閥系の証券会社役員だった。学生結婚した妻の医師みゆき(68)は、初代牧丘町長の娘。小田切の実弟が、近代文学館理事長、立教大教授の小田切進(58).精魂傾けた文学の殿堂は、樋口一葉日記などを資料に、『近代日本の日記』に取り組む。
中世国文学の日本学士院会員、東大名誉教授市子貞次(71)は甲府市生まれ。小学校一年まで住む。初代国立国文研究資料館長をし、古典の戸籍簿作りに精魂を傾けた。
(敬称略)資料;朝日新聞 
小尾  輿水  小田切1  小田切   

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