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甲州人国記(31)

甲州人国記  “文化づくりを担う” ⑭-2   昭和58年                         

「日本が近代化する過程での経済社会のサンプルが山梨。甲州財閥を生んだ草の根資本主義の発生も早かった」と伊東の指摘。養蚕地帯を背景に、甲州商人は「山峡の貧乏脱出」をかけて、東京へ、横浜へと出て行った。
「戦前、やり手の甲州商人の評判は悪かった。オカネばっかり愛するのが甲州人ではない、と会を始めたのよ」と山人会会長望月百合子(82)。山人会は大正末年創設され、いま山梨ゆかりの文化人三百人が集まる。望月は、社会主義、無政府主義の草分けだった石川三四郎の娘。小学校まで母の実家の甲府で育った。女学校を出た大正八年、読売新聞婦人部記者。「もっと勉強しろ」という父に連れられ、パリ大学で西洋史を学ぶ。昭和十二年には新京(現長春)に行き、満州日報記者。「中国人を人間扱いしない開拓政策がたまらなかった。見た通り書くでしょ、関東軍にニラまれたよ」
戦後は語学を生かして翻訳、著述。サバサバと「先憂後楽の志は持ち続けるわよ。ほら、ウチは最低の生活でしょ」。平等社会を願う八十二歳の娘といった感じの望月が、「文化的な仕事をする甲州人が一人でも増えてくれれば」と山人会の旗をふる。会員の一人、小沢春雄(61)は通信機械工業会専務理事。前電電公社総裁理事で、学歴社会をえぐる異色小説『人事異動』を書いた。「電電山梨会」には三千人が結集している。「徒手空拳で出て来て道を切り開くのが甲州人。郷党意識は強いですよ」(敬称略)資料;朝日新聞 
望月 
小沢 

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