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甲州人国記(35)

甲州人国記  “信玄公あればこそ” ⑯-2   昭和58年 
                              
  甲州には昌信を最高顧問とする「武田家旧温会」があり、会員三百人。相談役は『定本武田信玄』の歴史家、山梨大名誉教授磯貝正義(70)。岐阜県育ちの磯貝は、山梨に赴任した時、強烈な甲州人気質を感じた。つづめていえば「信玄公の国」ということになる。現在まで残った集落の親分・子分関係は、甲州軍団の戦闘組織の名残、と磯貝。「信玄堤一みても、信玄は合理主義の民政家だった。幕府の圧制下で信玄への思いはふくらんだし、貧しさと闘う力のよりどころでもあった」
  山梨日日新聞、山梨放送社長の小林茂(59)は、山梨郷土研究会長でもある。複雑人間である信玄研究のおもしろさ。郷土佐藤八郎(73)は、信玄は戦国武将の中でぬきんでた詩人です。京都五山の学僧が、武家がこんなすごい詩を作るとは嘆賞したほど」と目を細める。佐藤は十七年かけ『甲斐国史』の校訂と一万八千項目の索引を完成させ、雄山閣が出版した。県下には原本がなく、韮崎市の自宅から内閣文庫まで列車通勤した歳月もある。「昼食抜きでやったが、ほれて通えば千里も一里で」
  江戸時代、国志編纂の郡内編を受け持ったのが学者、森島弥十郎。八代目の東洋曹達工業社長森島東三(63は先年、編纂資料を都留市に贈った。
 「それは遠い昔から流れ続けている家の中の川なのだ」と、作家辻邦生(57)、山梨県立図書館で、「辻家古文書」の和紙をめくった感動を最近の創作に書いてある。辻は東京生まれだが、先祖は代々甲府の医家。明治四十年の大水害後、出京した。
  辻家古文書は、信玄以前の武田と武将・辻家の関係を伝え、辻は身にしみて甲斐の風土を感じた、という。辻の本籍は甲府だ。(敬称略)資料;朝日新聞       
                     
磯貝     佐藤

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