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ちょっくら よっていけし

甲府工業同窓会   村上博靱(E33)

甲州人国記(41)

甲州人国記  “若アユと突貫小僧” ⑲-2   昭和58年

 輿水秀香が山国の若アユなら、佐野稔(27)は精進湖が生んだ氷上の曲芸師。「父に連れられ、小学校一、二年のころから自然結氷の湖で滑りました」。日大時代、東京でのフィギュア世界選手権で、見事な三回転ジャンプをこなし自由演技では最高得点。日本初のメダル(銅)を獲得したのは五十二年春だった。「自分の持っているものを出し切った満足感で泣けました」。その後はプロスケター。チームで氷上ショーを展開する。
佐野は石和町の旅館の末っ子。小学校五年の時から親元を離れ、川崎市へスケート留学した。「一日八時間の練習というスパルタ教育ですからね。くたくたになって、さびしいなんて感情はわからなかた」。今も一日三時間の夜間練習は欠かさない。
クールなさわやかさを買われて、テレビニュースのスポーツキャスターや歌謡番組の司会も。「上っつらだけ、なでるようなスポーツ報道はしたくない、選手のほんとの姿を伝えたい、と心掛けてるんですが、時間的な制約で難しい。ボク実は、感激屋なんです」
富士桜栄男(35)。「突貫小僧」といわれた大相撲の突進男は、この三月、初土俵以来満二十年の場所を迎える。まさに根性相撲で、通算連続出場千六十五回は史上第一位の記録である。幕内出場も千五回を数えた。
「体がちっちゃいですからね。いつもけいこをやってなきゃあ勝てない。甲府の先輩の富士錦関、いまの尾上親方には、マワシを取る相撲をするとこっぴどく怒られた」。長男の富士桜は、甲府の農家の跡取り息子。「百姓がイヤで。新弟子検査の時は、水を飲んでメシを食って七十二キロ体重を七十五キロに増やした」。夫人の息子、娘の住む自宅から高砂部屋へ自転車で通うのも、精進のうちだ。「車なんか持ってないす」。故郷へは電車で帰る。
「いくつまで相撲をとるなんてまったく考えてなんかいない。ただ、押せなくなったら終わりで」。「升々酒」の酒豪も、「今は、翌日残るから、ふだんは家でビールの子びん二、三本」と節約する日が続く。
(敬称略)資料;朝日新聞
 佐野  富士桜                

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