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甲州人国記(21)

甲州人国記  “富士山麓を見すえ” ⑨-②   昭和58年 
                              
北富士闘争の中心人物が、忍草入会組合長の天野重知=しげのり=(74)。行動半径の大きさと底知れなさに、「天皇」の異名がつく。「毎日富士を見てうつらうつらしてますよ」「私はまだ生きぐさくて」。同じ人物からこんな言葉が飛び出す。闘争の原点である入会権の思想と法研究に打ち込み、「山と水を地域民の手に取り戻す運動」にかける。戦前、忍野村村長をし、東京電灯(現東京電力)ダムの溢水(いっすい)による田畑被害補償を、ダム取水口を壊すという農民の実力行使で勝ち取った。
「それにしても、闘争は気楽でないともたねえですよ」。天野の「おんな宿」の研究が、母の会づくりに結びついた。「女族の方が強いねえ。後家さんになって財産をつぶすヤツはない」。県議会議長をした父の有料道路事業「富士山自動車」を継いだ資産家。「演習場反対の灯をともし続けるバカ者でいたい」。
足で歩いて『冨士山麓をめぐる入会の研究』をまとめたのが、山梨学院大教授萱沼英雄(67)。「冨士北麓にある四万ヘクタールの国有、県有地を、地元民のために役立てなければ展望はない」。富士吉田市で地域誌『雪解(げ)流』を刊行し、自然保護の論陣を張る富士吉田市文化協会長、同医師会長の内藤成雄(62)。「作家新田次郎は、冨士は自動車道路の犠牲になって滅びていくと怒った。東冨士有料道路でも大変な森林が切られていくでしょう。ゴマメの歯ぎしりを続けます」。
富士吉田には、焼き物は無理とされた冨士溶岩の赤土を生かし、独特の溶岩焼きを生み出した細川秀年(49)も住む。冨士の魂を盗もうと、頭も凍るような二合目の小屋で、窯と対座した。
(敬称略)資料;朝日新聞       
天野 細川

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