甲府工業同窓会にとりまして、誠に名誉ある褒章を受章されました。栄誉に対しまして深甚なる敬意を表します。
藍綬褒章 千野 香さん(機械科44年度卒)平成28年4月29日受賞。1983年、出身地の甲府市消防団能泉分団に入り、2011年4月から同分団長。甲府市北部周辺で起きた林野火災で消火活動に尽力した。
能泉の近くにある金櫻神社。
ママさん大学生奮闘「助産師として社会の役に」「大村基金」を受けて猛勉強・伊藤さん
3人の子どもを抱える昭和町の女性(35)今春から、山梨大医学部看護学科で助産師を目指して勉学に励んでいる。自身の出産時に助けられた経験から助産師に憧れ、32歳の時に本格的に勉強を始めたところ、今年見事、同大に合格。
子育てとの両立で忙しい毎日ながら、「お母さんの心に寄り添える助産師になりたい」と意気込んでいる。
この女性は、伊藤晴美さん(35)。現在、昭和町で夫の雅洋さん(34)と3人の女の子ら7人で暮らしている。伊藤さんは、静岡大理学部でバクテリアなどを研究し、卒業後は名古屋市の住宅リフォーム会社に就職。25歳の時に雅洋さんと結婚したため仕事をやめ、雅洋さんの出身地の昭和町で生活を始めた。次女を出産する直前の7年前のこと。
義父が急死し、体重が減るほど精神的に不安定だった。「今は赤ちゃんを産むことに専念しましょう」。通っていた町内の産科の助産師がこちらの気持ちに寄り添いながら、声をかけ続けてくれ、出産後も悩みを親身に聞いてくれた。
伊藤さんは「話しながら涙がこぼれ、癒やされました。この頃から助産師という仕事への思いが強くなりました」と振り返る。「助産師は人の役に立てて、自分に自信を持って働くことができる仕事。残りの人生、やりたいことをやらせてほしい」。夫は驚きながらも了承してくれたという。それから、山梨大医学部看護学科に入学するための受験勉強が始まった。家族も応援。子どもたちが洗濯物をたたむなど多くの家事を手伝ってくれ、雅洋さんは模擬試験のある日曜日などに、家族の食事を作ってくれた。今春の入試では合格だけでなく、成績が優秀だったため、創設されたばかりの大村智記念基金から同学科で唯一、奨学金30万円を受け取った。伊藤さんは「赤ちゃんを取り上げる技術を磨くだけでなく、母親の心のケアを通じて、子どもの虐待を減らす活動にも取り組みたい」と話している。資料;読売新聞
故郷の山々、市川三郷町で。
平成31年度に改定される旅券(パスポート)の査証欄のデザインに、江戸後期の浮世絵師、葛飾北斎の「富嶽三十六景」が採用されることになった。作品は県立博物館(笛吹市御坂町成田)が所蔵する。外務省旅券課が複数の候補の中から決定した決め手は「日本らしさと外国人への親しみやすさ」。富嶽三十六景には山梨側からとされる富士の眺望も含まれ、同博物館では「『山梨の富士』をアピールする絶好の機会」として期待をかけている。富嶽三十六景の中でも著名な「赤富士」と呼ばれる「凱風(がいふう)快晴」、波間に富士山が顔を出す「神奈川沖浪裏(おきなみうら)」などの絵柄が採用された。山梨側から見た富士山の作品では、富士川の急流と富士山を重ねた「甲州石班澤(かじかざわ)」や、河口湖の“逆さ富士”の美しさを表現した「甲州三坂水面」など秀作がずらり。県立博物館の森原明広学芸課長は「富士山というと静岡側の『表富士』のイメージが圧倒的に強い中、山梨県所蔵の富嶽三十六景の採用が決まったことは、『山梨に富士がある』ことを知っていただく機会になる」と熱く語る。森原課長は「所蔵品は17年に1億8900万円で購入したもの。雲や波頭など細い線まではっきり描かれているのが特長で、そうした品質の高さも採用につながったのでは」と話している。県立博物館はすでに、原画のデジタル画像を国立印刷局(東京都港区)に渡し、同局はこれを元に印刷用の版下を製作する運びだ。資料;産経新聞
山中湖から眺めた富士山
富士吉田市の地下水の保全と、市内で生産されるミネラルウォーターのブランド化に取り組もうと、市内の製造会社6社が26日、市内で総会を開き、「富士吉田ミネラルウォーター保全協会」を設立した。日本ミネラルウォーター協会(東京都)によると、2015年のミネラルウォーターの生産量のうち、山梨県は約129万キロ・リットルに上り、都道府県別では日本一という。今回設立された保全協会によると、市内業者の生産量は県全体の約2割。県内では北杜市も有力な産地だが、保全協会では各社が協力して森林保護や水質調査などに取り組んだり、水の品質の高さを情報発信したりすることで、水の名産地として「富士吉田」の知名度を上げ、販売拡大につなげたい考えだ。保全協会の発起人で、会長に就任した「富士山の銘水」の粟井英朗社長は、「富士吉田の水はきれいでおいしい。地域の宝を守りながら、ブランド化を進め、市の活性化につなげたい」と話している。資料;読売新聞
富士吉田市北麓球場から眺めた富士山
山梨県は18日、災害時に指定避難所となる県立高校などの県有施設のすべてに、無料の無線LAN「Wi-Fi(ワイファイ)」を導入することを明らかにした。地震などの災害時に、安否連絡をしたい被災者がスマートフォンなどからインターネットに確実に接続できるようにするもので、平成29年3月から供用を始める。平時には、県民向けの行政情報や外国人旅行者への観光情報の提供に活用する。県情報政策課によると、無線LAN導入は、震災直後などに携帯電話回線がパンクするなどでメールやインターネットが使えなくなっても、通信手段を確保できるようにするものとしている。整備費は8200万円。被災者が無線LANを活用してスマホでメール発信やネット接続をすると、施設内のワイファイ用アンテナを通じて、県の光ファイバー網に接続する仕組み。これにより、被災者は家族の安否確認や災害情報、交通情報、行政情報の収集などが可能になる。災害用に無線LANを整備するのは、県内の市町村が指定する「指定避難所」(計874カ所)のうち、すべての県有施設(41施設)。帰宅困難者を一時的に受け入れる県庁防災新館(甲府市丸の内)をはじめ、県立高校など24の学校の体育館▽富士北麓公園(富士吉田市上吉田)、小瀬スポーツ公園(甲府市小瀬町)など7公園▽県民文化ホール(甲府市寿町)▽産業展示交流館のアイメッセ山梨(甲府市大津町)-などとしている。このほか、国内外の多くの観光客が訪れる県立美術館(甲府市貢川)や同文学館(同)の2施設にも整備し、県外の人の緊急避難にも対応する。設置するワイファイ用アンテナは、半径数十メートルの範囲でスマートフォンやパソコンからネットへの接続を可能にするという。個人IDを事前に登録しておけばだれでも使える。県は導入前に、県民へのPRを展開し、利用方法の周知徹底を図るという。資料;産経新聞
甲府工業体育館にも設置予定の無料Wi-Fi
三浦友和、178cm浅黒く引き締まった童顔だが、青春俳優も三十一歳になった。父親は駐在所のお巡りさん。「八歳までの間に大菩薩嶺のふもとを四回も転勤しました」。塩山駅近くの小学校三年の時、会社員になった父と上京。大自然を相手に走り回っていた少年は、「屋上でドッジボールするような山のない環境」にビックリする。母が作る甲州名物の「おほうとう」(煮込みうどん)が好きだ。
都立日野高へ進むが、映画も見ず、文化祭にも加わらず、卒業式には教室で一人寝っ転がって入るような少年だった。「目立つのがイヤだった」。芸能界入りした時、友人は「ほんとに出来るかな」と心配したそうだ。
多くの若者のように、三浦も挫折を体験している。高校を出て日本電子工学院に進むが、中途で勝手にやめた。「いまは学歴の世の中だ、なんとしても大学へ、という親たちの期待を見事に打ち破ってしまって」。フォークグループに出入りして芽を出す。
四十九年、映画『伊豆の踊り子』での山口百恵(24)との共演が、三浦を青春スターにした。「もう二年以上も、百恵は芸能界とは無縁な生活をしているのに、騒がれてはかわいそうですよ。繊細で弱い女なんです。芸能界はもうこわくて帰る世界じゃないと、はっきりいっています」。きまじめな口調である。
「愛なんてきれいごといったって、なんていうのが流行だけれど、愛の真実はいつの世でも変わらないじゃないでしょうか」。映画『E・T・』の子どもの心情に打たれた。「やりたいものと、見にきてくれるものの接点を探っています」と俳優設計を模索中。(敬称略)資料;朝日新聞
様々な分野で活躍する甲府市ゆかりの人に甲府をPRしてもらう「甲府大使」に選ばれた歌舞伎俳優の市川喜昇きしょうさんに18日、甲府市の樋口雄一市長が委嘱状を手渡した。市川さんは甲府市出身で歌舞伎界のホープ。昨年9月には市内で自主公演も開催している。委嘱状を受け取った市川さんは「『甲府大使』という名前だけで終わらず、東京から20人ぐらいの人を甲府に連れてきてワインを飲むなど、実際に何かやりたい」と抱負を語った。甲府大使の委嘱は3月30日付で、同日には代表作「コウノドリ」で今年度の講談社漫画賞(一般部門)に輝いた鈴ノ木ユウさんと、ポーランド人の女流棋士、カロリーナ・ステチェンスカさんにも委嘱状が渡されている。資料;読売新聞
JR甲府駅前
全日空は17日、甲府市内で会見を開き、今夏限定で欧米やアジア路線の機内食や空港ラウンジで、日本酒やワイン、甲斐サーモンなど県産食材を提供すると発表した。全国さまざまな地域の魅力を、旅客サービスを通して発信するプロジェクトの一環。夏山シーズンを迎える富士山と、6月22日に予定されている県の「富士山世界遺産センター」(富士河口湖町船津)のオープンに合わせ、山梨の魅力をアピールし、訪日観光客の拡大を狙う。機内食の食材に県産品を活用。ファーストクラスでは日本発欧米・シンガポール線で県産ブランド米「ヒノヒカリ」が味わえる。ビジネスクラスも、日本発北米路線で「勝沼産ワインソースの牛ヒレ肉ステーキ」、日本発欧米路線の一部で「絹豆腐」、成田着の大連・杭州線では「甲州金まんじゅう」が提供される。一方、羽田・成田空港の国際線「ANAラウンジ」では、「すもものエクレア」や甲州銘菓「くろ玉」がサービスされる。羽田空港では深夜便を利用する旅客を対象に「甲斐サーモンレッド」も提供される。全日空はこれに合わせ、機内番組「SKY EYE」で富士山、河口湖などの空撮映像や山梨の名物、特産品を紹介するほか、インターネット通販サイトでも県特産品を販売する。資料;産経新聞
訪日観光客が訪れる富士山。市川三郷町から30分の所にある精進湖。2016.4.23写す。
昨日行われたコマツ茨城工場フェアに行ってきた。ここでつくられている大型建設機械の製品展示や実機試乗会などで大勢の人たちで賑やっていた。他にも組立職場見学ツアーやステージイベントが盛りだくさんだった。なかでもコマツ女子柔道部所属の世界選手権金メダリストの浅見八瑠奈、世界ジュニア銅メダリストの常見海琴の二人が来て柔道の模範演技をステージで見せてくれた。思っていたより小柄で48キロの浅見八瑠奈が100キロちかい男性を軽々投げ飛ばす技は凄かった。巴投げや関節技などすぐ目の前で見たので迫力はあった。しかも二人とも美人で笑顔がかわいかった。浅見八瑠奈はリオ五輪の出場は惜しくも逃したが、二人とも頑張って東京オリンピックに出場して欲しいと思った。
身延町西嶋の「身延町なかとみ現代工芸美術館」で、重要無形文化財保持者(人間国宝)だった故大隅俊平さんの展覧会「大隅俊平の直刃(すぐは)の美」(朝日新聞甲府総局など後援)が開かれている。8月7日まで。大隅さんがこだわった直刃は、刀を作る時に出来る刃文(はもん)がまっすぐなもの。大隅さん製作の日本刀21口のほか、刀装具169点なども並ぶ。近くに住む望月都美男さん(77)は「刀を持ったこともあったが、刃文がまっすぐなのはあまり見たことがなかった」。小沢利佐学芸員は「今、日本刀のブーム。初心者の方に見てもらいたい」と話した。火曜休館。一般500円。午前9時半~午後5時。資料;朝日新聞
身延山久遠寺本堂
17日に86歳で死去した元自民党総務会長の堀内光雄氏は戦後、山梨の政財界をリードしてきた一人だった。昭和37年に父親を継いで富士急行の社長に就任。レジャーブームの中で富士急ハイランドを成功に導くなど事業の拡大を図り、同社の“中興の祖”といえる存在だった。政界でも、主張は明確にしつつ、威張らない穏やかな紳士として活躍した。県内の自民党関係者は「議員時代は常に党の中枢にいて、県政をリードしてきた。一つの大きな存在を失った思いだ」と肩を落とした。堀内氏は県内で特に、リニアモーターカーの推進に尽力した。平成15年8月、当時は国の予算で進めていたリニア実験線の整備で、未着工区間(現在の笛吹市など24・4キロ)の着工が小泉政権の緊縮財政により先送りされた。政府内にも“不要論”が高まり、リニアにとって大きな危機となった。当時、県や沿線自治体が猛反発したが、党総務会長だった堀内氏は、山本栄彦知事と国土交通省鉄道局長との合意に立ち会い、実験線を将来、本線として活用し、実用化を推し進める-という現在の流れを作ることに大きく貢献した。資料;産経新聞
富士急行の前身「富士山麓電気鉄道」1929年(昭和4年)開業時の車両。2016/4/23日写す
2014年に市制60周年を迎えた都留市が協賛し、完成した映画「かぐらめ」が、今年4月にカナダ・バンクーバーで開かれたカナダ国際映画祭で「ロイヤルリール賞」を受賞した。監督は都留市出身の奥秋泰男さん(50)。市内の書店「ブックスステーション」で奥秋監督に感想などを聞いた。映画は、都留市の祭りで舞われる伝統芸能「獅子神楽」を題材に、その舞い手の父と、母の13回忌に5年ぶりに帰郷した娘の親子の葛藤や、伝統を守り伝える人々の思いを描く。地元の神楽保存会や小学生ら市民も協力し、14年の夏から秋にかけて市内を主な舞台に撮影した。15年5月に県内で先行上映後、全国公開され、今年4月にDVDも発売さた。奥秋監督によると、受賞したのは将来が期待される監督らの長編作品を対象にした部門。ロイヤルリール賞には「かぐらめ」を含む10作品が選定されたという。
「都留の方々の協力なしにはできなかった作品。入賞で地元に少しはお返しができたのかな、と思うとうれしい」と喜んだ。資料;朝日新聞
我が家の熱帯魚「ベタ」ちゃん。 省エネ魚で一日中寝ています。しかも空気呼吸をしながら。
「今は汚れちまってダメですけれど、少年時代は河口湖の水を飲みながらお昼を食べました。冬は全面結氷の湖でげたスケートで滑り、氷の下からワカサギ釣って」。
ギターをひく作曲家の山本丈晴(57)の生家は河口湖畔。九人きょうだいの末っ子で、結核をやむ失意の少年時代を経て古賀政男の門に入る。
テアトロン賞やLPレコード賞を受賞、『風林火山の唄』など甲州ゆかりの歌の作曲も多い。
「ギターで親と子が語り合おう」とギター教室を開く。「非行に走るのも、対話がないからでしょう?」
いま「TVC山本」の社長として、「目で見る社内報・ビデオ」作りに熱をいれる。
社員五十人を含めスタッフ百五十人。「週五本を抱え、みんな走り回っています。
企業内部にいると気づかいない点を教えられると、割りに好評」。記録ものも手がけ、『延暦寺・東塔』は五年かけて撮った。『伊勢神宮ご遷宮』は十三年がかりの計画だ。
温厚で、素直で、生マジメで。この山本と、「信頼できる人です」と女優山本富士子(51)が結婚して二十一年目になる。昨秋、テレビ朝日系でおしどり番組の「丈晴、富士子のさわやかサロン」がスタート。
夫婦と各界ゲストの交流を描く。「女優のイメージでない私の素顔が出せたらいいなと思っています。と富士子。「資料調べが大変なんですよ」と勉強する。
目元涼しく、胸元豊かに、化粧の陰影こそ濃いものの、第一回ミス日本の美女は健やかである。
「ねえ、そうだねえ」と丈晴が時々、相づちを求める円満ぶり。
「富士子の舞台の音楽も全部ボクがやっているし」。妻、母親、女優の三役をこなしきたい、と富士子。中学生の一人息子を「七時には起きて必ず声をかけて学校へおくりだすの」。
富士子は「私、生まれが大阪ですので、河口湖は第二の故郷の思いなんです」という。丈晴の親友、富士観光開発社長志村哲良(56)が、富士の伏流水を探し当てて開発した山ろくの別荘村へ、家族はよく出かける。
春、富士桜がにおう村だ。(敬称略)資料;朝日新聞
甲府工業の男子総合は惜しくも総合第3位となりました。昨年度は第2位でしたので一つ成績をおとしました。残念です。同窓会の皆さん、応援ご苦労様でした。
<成績>
総合優勝 日本航空
準優勝 山梨学院
3位 甲府工業
□陸上・駅伝部【女子やり投げ2位】【2点】
□バスケットボール部【第6位】 【2点】
□ソフトテニス部 【2回戦敗退】 【0点】
□バレーボール部 【第3位】 【3点】
□卓球部 【ベスト8】 【1点】
□ハンドボール部 【ベスト8】 【0点】
□バドミントン部 【ベスト8】 【1点】
□柔道部【男子団体2位】 【3点】
□剣道部 【男子団体4位】 【2点】
□テニス部 【団体3位】 【3点】
□空手部 【2回戦敗退】 【0点】
□新体操部【第1位】 【2点】
□弓道部 【第3位!】 【3点】
□自転車部 【表彰台独占】 【2点】
□ボクシング部 【第1位】 【3点】
□サッカー部 【0点】
□ラグビー部 【0点】
□山岳部 【0点】
総合得点 【27点】
武田家を支えた家臣らの人気投票を行い、オリジナルの「武田二十四将」を選ぶ「TKD24総選挙」の結果が、主催した県立博物館(笛吹市)から発表された。トップは武田信玄の軍師として有名な山本菅助(勘助)、2位は武田勝頼、3位は武藤(真田)昌幸という結果になった。総選挙は、同館で開催中の特別展「武田二十四将―信玄を支えた家臣たちの姿―」に合わせて行われた。「武田二十四将」に含まれる武将は絵や史料によって異なるため、投票の対象は同展で紹介している68組とした。投票は3月19日~5月5日に行い、投票総数は2813票だった。1位の山本菅助は、2位の武田勝頼に100票以上の大差を付けており、同館の担当者は「信玄公祭りでも俳優が演じるなど、元々人気が高く、順当な結果だ」と分析している。また、3位の昌幸ら真田家の武将は全員が24位以内にランクインしており、NHKで現在放送されている大河ドラマ「真田丸」の影響が強かったとみられる。2位の勝頼も「『真田丸』で描かれた悲運の最期が共感を呼んだのでは」と同館の担当者はみている。資料;読売新聞
恵林寺の山門
2月に引退した「フジサン特急2000系」の後継だ。富士急行によると、車両はJR東海の特急「あさぎり」として活躍したものを譲り受け改造した。デザインは、JR九州の豪華寝台列車「ななつ星」を手がけた工業デザイナーの水戸岡鋭治さんが担当。外装は小豆色に近い光沢のある赤色で、内装は木材を豊富に使い温かみが感じられる仕上げにした。全席指定の特別車両(座席数26)と、自由席2車両(同117)の3両編成で、大月―河口湖駅間を約45分で結ぶ。平日は2往復、土日祝日は3往復する。資料:朝日新聞
河口湖駅で
(日立製作所 勝田工場 退職者の会)
日時 平成28年5月13日(金)
8:30 東 スタート
場所 那珂カントリ倶楽部
競技 HDCP方式
<成績>
優勝 福原 徹雄
準優勝 関 正俊
3位 西野 弘教
4位 黒川 勇
5位 村上 博靱
6位 鈴木 守治
7位 山﨑 豊次
8位 継田 俊行
9位 黒岡 幹通
10位 大島 清
11位 高埼 修一
12位 菊池 英明
13位 高嶋 満
14位 吉田 二三男
ベスグロ 福原 徹雄
ブービー 高嶋 満
ニアピン 西野 弘教×2 鈴木 守治 福原 徹雄
ドラコン 菊池 英明 山﨑 豊次
ドラタン 西野 弘教 吉田 二三男
最後になった雨宮幾雄さん(M42)の庭には見頃になった藤の花が美しかったです。近くの野口雨情生家も見て写真に収めましたので添付致します。初めてお会いした方と山梨県人、甲府工業同窓会員ならではのお話も出来て有意義なご訪問になりました。まだまだお元気にボランティアやお仕事、趣味にと活躍されておられパワーを頂く事が出来ました。また会員の皆様にお会いできるのが楽しみになった今回の会誌配布でした。
「鉄道王」と呼ばれた実業家で県内の小学校に“根津ピアノ”を寄贈したことで知られる根津嘉一郎氏(1860~40年)が小学校に寄付したとみられるミシンが山梨市一町田中の藤原時計店で見つかった。根津氏がミシンを寄贈したことは文献に残っていたが現物が見つかったのは初めて。山梨市教委の担当者は「大変珍しく貴重」と話している。
ミシンは足踏み式の木製の土台付きで高さ約25センチ、横約40センチ。同店の藤原義久さんが2014年に甲府市内の骨董こっとう市で購入した。15年6月頃まで倉庫で保管していたが、倉庫を整理したときにミシンの土台にある「寄贈者 根津嘉一郎 昭和九年五月」と記されたプレートに気がついたという。さびだらけの状態だったため、業者に依頼し、約半年間かけて修理をしてもらい、実際に縫うことができる状態に戻ったという。今年4月上旬、藤原さんがプレートを山梨市教委の担当者に調べてもらった。根津氏は現在の山梨市出身。実業家として成功した後、「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」という信念から1930年頃から県内の小学校にピアノやミシンなどを寄贈していたことが根津美術館(東京都)が根津の生涯をまとめた文献に残っている。今回発見されたミシンのプレートにあった「昭和九年(1934年)」はこの記載と年代が近かったため、同市教委は根津氏が寄贈したものである可能性が高いと判断した。藤原さんは「“根津ミシン”の存在を知らなかったので驚いた。貴重なものなので市に寄付することを考えています」と話している。資料;読売新聞
山深い山梨県から、高名な水産学者が出ている。
日本学士院会員、東大、名大名誉教授の雨宮育作(93)だ。
東京・駒場の東大教養学部のすぐ近くに住み、「もう悠々自適、友達も亡くなっています」。
けれど、毎晩八時か九時に寝て、早朝四時には起きて勉強するという生活習慣は変わらず、「科学はもっともっと深くならないと。どこまでいけば本当のことがわかるか見当もつきません」。「罪悪は夜生まれる」という精進一筋道に、脱帽というしかない。
魚類生態学を専門とし、日本イワシや、カキの研究が著名。
三井海洋研究所長や、江ノ島水族館長もし、江ノ島のマリンランドで、ゴンドウクジラに曲芸を仕込むプラン作りもやっている。
長崎、パキスタンなどの水族館建設に参画、水族館時代を開いた。利根川のアユの卵をアメリカの湖川に大量移植する夢も実現した。「池に移植し他の歯育っていますよ」
富士五湖を調査、霞ヶ浦からワカサギの卵を移して富士五湖の名物を育てるきっかけを作ったのも、雨宮の仕事。
「ワカサギが湖水によく合うことがはっきりしていた。
山国育ちなのに、イキにいい魚を食べるのが好きだったから水産学をやったんですよ」。
旧制日川中では元厚相広瀬久忠(故人)と同級。
厳しい空っ風に面を向けて、六キロの道をかけ足で通った。
冬、土ボコリの畑から顔をのぞかせる故郷山梨市七日市場の石斧(せきふ)や石ヤジリを、丹念に拾い集めている。「遠い先祖の息づかいがが聞こえてくるようです」
(敬称略)資料;朝日新聞
山梨市七日市場生れ。
(那珂カントリ倶楽部・日立製作所水戸工場OB会)
早いもので今回で334回の大会です。
期日 : 5月10日(火)
場所 : 那珂カントリ倶楽部
コース: 東⇒西
天候: 曇り
<成績>
優勝 大塚 静男
2位 大狭 明
3位 根本 文雄
4位 市野沢 伊司
5位 村上 博靱
6位 石田 周二
7位 米山 三美
8位 船田 健夫
ドラコン 米山 三美×3 村上 博靱
ニアピン 根本 文雄×2 大塚 静男
朝まで降り続いた雨も止み、時間がたつにつれ絶好のゴルフ日和となった。さて、今回は10名のエントリーであったが急に2名がキャンセルしたので編成替えをしてのスタートとなった。成績は上記の通り。大塚さんと大峡さんが同点となり年齢上位で大塚さんが優勝した。今日大塚さんと一緒に回って気が付いたのは「寄せとパター」がうまいことだ。自信をもってプレーしているので終始楽しくやっていた。小生にとっても参考にする事が沢山あった今回のNMGだった。
風もなく新緑一色の中でプレーしました。(2016/5/10写す)
甲州市勝沼町勝沼の大善寺で8日、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)をしのぶ「藤切り祭」があった。国の選択無形民俗文化財に指定されている。同寺によると、修験道は信仰や修行を目的に平安時代から江戸時代に栄えた山岳宗教。役行者は約1300年前に実在し、大蛇を退治したなどの伝説が語り継がれているという。大蛇に見立てて神木につるされたフジづるは約30メートル。つるを持ち帰ると開運成就の幸運が舞い込むとされ、修験者に扮した僧侶が刀で切り落とすと、待ち構えた約200人の若者が激しく奪い合った。市立勝沼中学校2年の川崎敬介さんは「目の前に落ちてきたつるに飛びつきました。部活のバスケで活躍できそう」と話した。資料;朝日新聞
国道20号線沿いにある大善寺
南アルプス市小笠原の滝沢川公園で約1万株のアヤメが紫色の花を咲かせている。公園では「あやめフェア」が開かれており、大勢の人でにぎわっている。アヤメは約1キロにわたって滝沢川の両岸に植えられている。30年ほど前から市民らでつくる「南アルプス市アヤメを育てる会」が育てており、植え替えや除草などの手入れを続けている。今年は4月に暖かい日が多かったため、例年より1週間ほど早く見頃を迎えたという。公園を訪れていた甲府市の男性は「アヤメが日に当たると紫色がきれいに見えますね」と話していた。資料:読売新聞
(日立製作所 勝田工場OBゴルフ会 会長;村上博靱)
期日 5月6日(金)晴れ
場所 那珂カントリ倶楽部
スタート 8時30分(中→西コース)
<成績>
優勝 山﨑 豊次 副賞
2位 福原 徹雄 ニヤピン 副賞
3位 吉田 二三男
4位 村上 博靱
5位 高崎 修一 ニヤピン
6位 久賀 浩人
7位 高嶋 満 副賞
8位 大島 清 副賞
9位 中山 謙一
朝から快晴のゴルフ日和となりました。
連休明けの金曜日、ゴルフ場は若い男女が大勢つめかけ、フロントに聞いたら80組の予約があったそうです。そんなわけでプレー時間も少し長めにかかり終わったのは3時ごろでした。さて、成績は上記のとうりです。予想どうり山﨑さんと福原さんの連勝となりました。ところで今回も三名の方から欠席の連絡がありました。一人は持病の治療で急に参加できなくなりました。また、一人は所用により欠席。もう一人は休みが取れなくなったことです。私たちの年齢になると明日の事はわかりません。急にいろんなことが起きるのもしかた無いことです。所詮遊びですから一日楽しく元気にプレーできればいいと思っています。
那珂カントリー倶楽部のクラブハウス (2016/5/6写す)
韮崎市神山町鍋山の韮崎大村美術館の入館者が2日、10万人に達した。記念セレモニーには館長で昨年のノーベル医学生理学賞を受賞した北里大特別栄誉教授の大村智さん(80)も駆けつけて祝福した。10万人目の入館者となったのは東京都調布市の山内萌さん(13)。祖父母の広瀬孔孝さん(77)、摩耶子さん(72)と一緒に旅行で訪れた。山内さんは大村さんから記念の花束を受け取り「先生は研究でたくさんの命を救ったすごい人。今日会えたのは一生の思い出です」と喜んだ。同館は2007年にオープン。入館者は毎月500人ほどだったが、昨年10月に大村さんのノーベル賞受賞が決まると、県内外から連日たくさんの人が訪れるようになった。この半年間だけで約5万4千人が訪れたという。大村さんは「こんなに早く10万人が達成できたのはノーベル賞効果です。一人でも多くの人に芸術と自然の景色を楽しんでもらいたいと、こだわって造った美術館だから、とてもうれしい」と話した。
大村さんの母校「韮崎高校」
武田信玄公をまつる武田神社は、信玄の父・信虎が1519年、川田館(甲府市川田町)から移した「躑躅ケ崎(つつじがざき)」の居館跡だ。武田氏が築き上げた行政と軍事の一大拠点は、真田氏にとっても“第二の故郷”といえる大切な場所である。「武田なくして真田なし。真田なくして武田なし」「武田氏研究会」の副会長で、NHK大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当する平山優氏(山梨県立中央高教諭)は、こう言い切る。真田信繁(幸村)の祖父・幸綱が、1546年頃に上杉氏を見限って武田氏に帰属。真田氏は以降、重要な家臣として力を付けていった。当時の武田氏は、信玄が信虎を駿河に追放した直後。信濃に領地を急拡大し、最も勢いに乗っていた時期だ。幸綱は1551年、真田の本領を奪った村上義清の拠点で、信玄も落とせなかった砥石(といし)城(戸石城、長野県上田市)を陥落し、本領を取り戻した。2年後、7歳だった三男の昌幸を人質として信玄に差し向けた。昌幸は父親よりも信玄と過ごす時間が長く、「多感な時期に大変な寵愛(ちょうあい)を受けた」(平山氏)という。そんな光景を想像しつつ境内を歩けば、約450年前の戦国の世にタイムスリップした気分になれる。大正時代に建てられた神社だが、堀と杜に囲まれ、一角に能舞台もある。参道には「風林火山」の幟(のぼり)が立ち並んでいる。信虎はこの地をなぜ「躑躅ケ崎」と名付けたのか。神社の内藤寛禰宜(ねぎ)は「多くの学者に尋ねたが明確な回答はなかった。当時はツツジがたくさんあったのかもしれませんね」と笑う。「崎」は、館の東方に突出した山を指したとみられる。境内と堀に沿って、近年植えられたツツジがこの季節、美しく咲き誇っている。館の周辺には、「武田二十四将」といわれる重臣らが暮らした屋敷が点在し、神社前の看板で一覧できる。ちなみに、幸綱の屋敷跡は館からすぐ近くで、信玄がいかに重用していたかが想像できる。現在は民間アパートが建つ。幸綱の嫡男で二十四将に名を連ねる信綱の屋敷跡は、現在は雑貨店前だ。さらに、軍師・山本勘助が暮らしていた場所は、館から少し離れた児童公園。武田氏滅亡の修羅場で当主勝頼を裏切って織田氏に寝返った小山田信茂の屋敷跡は、駐在所前となっている。これらを結べば、眼下に甲府盆地、遠方には南アルプス連峰を望む気持ちのよい散歩コースとなる。
このほか、平山氏が「注目してほしい」と話すのが、南アルプス市荊沢(ばらざわ)の阿弥陀寺。信玄の生母、大井夫人の実家・武藤家の菩提(ぼだい)寺だが、昌幸は一時、ここに養子に出され、武藤姓を名乗っていたとされる。
昌幸はそれほどに尊重されて育った。昌幸は川中島合戦で初陣を飾り、武田氏の軍事会議にも加わる。昌幸ゆかりの地を巡ることで、信玄に仕え、多くを学び取った真田の礎を実感できる。武田神社は本殿、拝殿のほか、宝物殿や甲陽武能殿、名水・姫の井戸など見どころも多い。神社の北側約2キロの積翠寺は信玄誕生の地とされ、「信玄公産湯の井戸」跡などがある。甲府が一望できる積翠寺温泉の入浴も心地よい。資料;産経新聞
「風林火山」のぼり。甲府市平和通りで。
熊本地震の被災者支援のために、熊本県出身で甲府市在住の声楽家・本岩孝之さん(バリトン、カウンターテナー)と、姉の潤子さん(ソプラノ)の姉弟が2日、市内でチャリティーコンサートを開いた。会場となった藤村記念館は、熊本出身の初代山梨県知事・藤村紫朗(1845~1908年)にゆかりの建物。山梨の地から遠い熊本へ、支援の気持ちを込めて海外曲や童謡など約10曲を歌い上げた。ふたりは熊本県八代市出身。
今回の地震で実家は無事だったが、いとこが被害の大きかった益城町で避難生活をしている。連日伝え聞く被害の様子に心を痛めていて、「何かやらなくては」という気持ちで、孝之さんが知り合いの「NPO法人甲府駅北口まちづくり委員会」とコンサートを開くことを急きょ決めた。藤村記念館は明治時代に校舎として建てられ、当時、藤村紫朗が奨励した擬洋風建築を現在に伝えている。「山梨と熊本をつなぐ象徴的な場所」として会場に選ばれた。資料;朝日新聞
甲府市北口2丁目の藤村記念館
北富士闘争の中心人物が、忍草入会組合長の天野重知=しげのり=(74)。行動半径の大きさと底知れなさに、「天皇」の異名がつく。「毎日富士を見てうつらうつらしてますよ」「私はまだ生きぐさくて」。同じ人物からこんな言葉が飛び出す。闘争の原点である入会権の思想と法研究に打ち込み、「山と水を地域民の手に取り戻す運動」にかける。戦前、忍野村村長をし、東京電灯(現東京電力)ダムの溢水(いっすい)による田畑被害補償を、ダム取水口を壊すという農民の実力行使で勝ち取った。
「それにしても、闘争は気楽でないともたねえですよ」。天野の「おんな宿」の研究が、母の会づくりに結びついた。「女族の方が強いねえ。後家さんになって財産をつぶすヤツはない」。県議会議長をした父の有料道路事業「富士山自動車」を継いだ資産家。「演習場反対の灯をともし続けるバカ者でいたい」。
足で歩いて『冨士山麓をめぐる入会の研究』をまとめたのが、山梨学院大教授萱沼英雄(67)。「冨士北麓にある四万ヘクタールの国有、県有地を、地元民のために役立てなければ展望はない」。富士吉田市で地域誌『雪解(げ)流』を刊行し、自然保護の論陣を張る富士吉田市文化協会長、同医師会長の内藤成雄(62)。「作家新田次郎は、冨士は自動車道路の犠牲になって滅びていくと怒った。東冨士有料道路でも大変な森林が切られていくでしょう。ゴマメの歯ぎしりを続けます」。
富士吉田には、焼き物は無理とされた冨士溶岩の赤土を生かし、独特の溶岩焼きを生み出した細川秀年(49)も住む。冨士の魂を盗もうと、頭も凍るような二合目の小屋で、窯と対座した。
(敬称略)資料;朝日新聞
クニマスを初めて常設展示する「―奇跡の魚―クニマス展示館」が富士河口湖町にオープンし、27日に記念式典などが行われた。関係者からはクニマスを守り、増やしていくことに期待する声が上がった。クニマスは秋田県・田沢湖の固有種で、2010年に同町の西湖で約70年ぶりに生息が確認された。式典には田沢湖がある秋田県仙北市の門脇光浩市長が出席。同市で17年春のオープンを目指して整備中の展示施設で、西湖のクニマスを展示する考えを示しており、「田沢湖にクニマスが帰ってくるよう、一層努力したい。山梨の皆さんのお力添えをお願いしたい」と期待を寄せた。同館は西湖の生態系を紹介するため、ヒメマスなども別の水槽で展示している。式典で後藤知事は「クニマスや西湖の生き物について学ぶ場となり、地域の発展に役立つ施設になってほしい」と話した。資料;読売新聞
河口湖 (2016年4月24日写す)
昔の端午の節句飾りが、南アルプス市西南湖の安藤家住宅で展示されている。展示品は13点で、特に目を引くのは長さ約9メートルの「木綿の本染鯉こいのぼり」。製作した市内の井上染物店によると、木綿だけで約80年前に作られた手染めのこいのぼりで、現在はこれほど大きなこいのぼりは製作しておらず、貴重なものという。会場には、江戸時代後期から明治時代中期に流行した山梨独自の節句人形「おかぶと」も展示。同住宅は、江戸時代中期に建てられた国指定重要文化財で、市の担当者は「安藤家住宅の雰囲気の中で、端午の節句飾りの歴史を感じてほしい」と話している。5月16日まで。資料;読売新聞
国指定重要文化財の「安藤家住宅] (2016/4/15写す)